鹿嶋神社とは
神奈川県相模原市南区古淵にある神社です。
JR横浜線古淵駅から境川に向かって下りたところにあります。
由緒沿革について、境内に相模原市・観光協会による案内板がありましたので、引用させていただきます。
鹿嶋神社(かしまじんじゃ)
この神社はいつ創建されたかは不明ですが、新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉攻めのおり祈願のために建立した言い伝えがあり、また、淵辺義博(ふちべよしひろ)の子、義喬(よしたか)が建立した言い伝えもあります。
古文書によりますと、文禄2年(1593年)に奉再建鹿嶋大明神一社一宮御修復とあり、その後、慶安3年、寛延2年、文政2年に再建した記録があり、明治34年5月22日に焼失し、同36年に再建され現在に至っています。
毎年5月22日を『焼日祭』と言って祈願しています。
境内の大ケヤキは千年を経ていると言われ、根元にある石は「カナメ石」と呼ばれ、境川のほとりにあった「田の神」とも言われています。
祭神は「武甕槌神(たけみかづちのみこと)」で本殿右は「香取神社」、大ケヤキの横は「稲荷神社」を祭っています。
遠い昔より村の鎮守様として守り今日に至っています。
相模原市 相模原市観光協会
とのことです。
なお、そののち、2017年(平成28年)に社殿が新築されています。
鹿嶋神社を兼務されている亀ヶ池八幡宮さまのその際のブログ記事がこちらになります。
社殿の中の様子を知ることができる貴重な記事です。
また、こちらの吉匠建築工藝さんのサイトでは、
建築時の貴重な写真が多数閲覧できます。
神奈川県神社庁による公式WEBサイトはこちらになります。
アクセス
公共交通機関
駅から徒歩
JR横浜線の古淵駅が最寄りになります。
googleマップさんによるとこんな感じです。
古淵駅から400m、5分と表示されています。
駅からは下り坂になります。
古淵駅です。
歩き出した後に振り返って撮影したので、進行方向はこの写真の反対側になります。
改札を出たら左方向に進むということになります。
こちらの「古淵駅北」交差点を直進し、やや細い道へ入っていきます。
こちらの道を進んでいきます。
やや急な坂を下っていきます。
道なりに曲がっていくと、
正面に見えてきます。
とうちゃーく。
路線バス
その名も「鹿嶋神社入口」バス停が近くにあります。
こちらのバス停は、古淵駅と山崎団地を結ぶ「古02」系統、古淵駅と藤の台団地を結ぶ「古03」系統、町田バスセンターから古淵駅を経由して小田急相模原駅へ向かう「町09」系統が経由します。
鹿嶋神社から近い位置にあるこのバス停ですが、古淵駅との間の往復に関しては、バスに乗らず、歩いてきたほうがおそらく早いのではないかと思います(道路が混んでいることが多いので…)。
クルマ
鹿嶋神社には参拝者の駐車スペースは無さそうでした。
コインパーキングも駅周辺や川を渡った町田市側など、少々離れたところまでいかないとあまり無いと思います。
参考までに周辺地図は以下のとおりです。
お参りしてきました(2024年12月中旬)
2024年12月中旬、週末の夕方にお参りさせていただきました。
日の短い季節ということもあって、古淵駅から北東斜面を下ったところにある鹿嶋神社は夕暮れが近づいています。
鳥居と扁額です。
左手には古淵児童館がありました。
一礼して鳥居をくぐり、境内におじゃまさせていただきます。
境内の様子です。
社殿です。
まだ新しい社殿が西日に照らされて輝いております。
左を向くと、立派な鐘がありました。
このあたりからも長い歴史を伺うことができます。
社殿の扁額です。
お参りさせていただきました。
西日がスポットライトのように社殿を照らし、まるで社殿が輝いているかのようです。
神々しいとはまさにこのことか。
鹿嶋神社社殿の右にある鳥居及び祠は、前述の案内板によれば「香取神社」とのことです。
社殿前から鳥居方向を見たところです。
前方南西側に斜面があり、その段丘の上に古淵駅などのある面があります。
どちらかというと相模川のある南西側へ向けて下り斜面となっていることの多い相模原市南区の区域において、古淵・鵜野森・谷口・中和田などのその中でも境川沿いの一部地域からしか見られないような夕暮れの景色です。
社殿から見て右方向の稲荷神社方面へ向かう途中にあった石碑です。
小さめの石碑に小さめの字だったのですが、ちょっとがんばって文字起こししてみようと思います。
鹿嶋神社再建由来記
由来…上野の国(現群馬県)新田荘の領主であった新田(源)義貞公が鎌倉時代後醍醐天皇より鎌倉幕府、討幕の命を受け鎌倉街道を南下し、この地に立ち寄り鹿嶋の御霊を祀り先勝(*1)祈願をしたと伝えられています。以来、地域の氏神様、産土神としてこの古淵の地で信仰を深めてまいりました。
近世においては、天和年間、寛延二年、文政二年に再建修復した記録がありますが、明治三十四年には不幸にも本殿が焼失し、翌年高座郡大野村の氏神とし再建されました。以来百十有余年の長年の風雪に耐え地域の人々の心の拠り所として崇拝されてきましたが、本殿、鳥居、境内の老朽化が進み平成二十七年四月、氏子九十一名
の、総意のもと決し。地域の安泰と後世の繁栄を願い平成二十九年八月竣功いたしました。平成二十九年十月吉日建立
鹿嶋神社 祭神 武甕槌命 武神
香取神社 祭神 経津主命(*2) 武神 農耕神
稲荷神社 祭神 稲倉魂命(*3) 穀物神要石…昔、地震は大ナマズが暴れて興すものと信じられていました 要石は地震が起きない様に押さえ込んでいるとされ、地震が起きても大難が小難になるように、また土地を鎮めると言われています。
写真を見て文章を入力しましたが、ちょっと写りが悪いところもあったので間違えていたらすみません…。
こちらは稲荷神社になります。
右奥に見えている屋根が鐘楼です。
先程の再建由来記の石碑はこの真裏あたりになります。
稲荷神社の鳥居です。
ここから車道へ出て帰りました。
ありがとうございました。
おじゃまいたしました。
大日堂
鹿嶋神社から境川橋の方向へ100mほど歩くと、「大日堂」と呼ばれるお堂があります。
「いでのさわ」という石碑とともに、相模原市・観光協会による案内板がありますのでこちらも引用させていただきます。
大日堂(だいにちどう)
このお堂は、もともとは南側の崖下にあったものを、江戸時代にこの地点に移したものと伝えられています。
このお堂の由来については、地域の人々によって口々に唱えられてきた和賛(わさん)の中に伝えられています。これによると、南北朝時代にここで合戦があり、その戦死者を供養をするために建てられたお堂であることがうかがえます。この合戦とは北条時行と足利直義による建武2年(1335年)の「井出の沢(いでのさわ)の合戦」のことと考えられます。「井出の沢」とは、お堂の西側をながれていた小沢のことです。また、お堂の中の本尊は大日如来(だいにちにょらい)で、秘仏として信仰されています。相模原市 相模原市観光協会
とのことです。
こちらも700年近く前からの歴史があるのですね…。
お邪魔いたしました。
ありがとうございました。
お参りしてきました(2025年1月上旬)
1月3日の午後にお参りに来ました。
今日も古淵駅から歩いてきました。
お正月らしい立派な幟が立っています。
まだ15時過ぎなんですが、今日はどうにも微妙な天気なもので、夕暮れまたは早朝のような色味の風景になっています。
古淵駅へ向かう、もしくは古淵駅から帰る途中の方でしょうか、多くの方が立ち寄ってお参りされていました。
石段を上がると、お正月の装いの社殿が見えました。
お寺ではありませんが鐘楼のあるこちら鹿嶋神社です。
西からのささやかな日差しを浴びる社殿です。
お参りさせていただきました。
お邪魔いたしました。
ありがとうございました。
まとめ
相模原市南区古淵にある「鹿嶋神社」について書いてみましたがいかがでしょうか。
「古くからの古淵・境川の歴史を見守り続けている、地域に親しまれている神社」ということが伝わったら幸いです。
気になることがみつかった方は是非当ブログ内の各ジャンルの記事にも飛んで読んでいただけたら嬉しいです。
相模原市南区に興味を持っていただき、また、この記事を読んでいただいてありがとうございました。