
企画概要
- 涼しいうちにお散歩企画を連発しよう
- 南区の重要な道路・県道507号「村富線」を歩いてみよう
- せっかくなので起点から終点方向へ向かって歩いてみよう
- できればそのまま村富神社にも行ってみよう
- 無理しない、なんかあったら悩まずリタイア(サスペンデッド)
といった感じのゆるめの企画です。
おことわり
記事内にある「起点から○○km」は、ネット上の地図サイトで測った距離であり、実際の道路における距離とは異なる場合があります。
県道507号線とは

県道507号線は、正式名称を「神奈川県道507号相武台相模原線」と言い、座間市相模が丘の「相武台団地入口」交差点から相模原市中央区の「星が丘」交差点を結ぶ6.7kmの県道です。
相模原市南区においては、外縁部に鉄道路線や主要道路が発達していますが、南区の中央部を貫く道路として、県道52号と並んで貴重な道路となっています。
ちなみに通称として「村富線」と呼ばれ、地元では県道番号は知らなくても「村富線」なら知っているという感じはあります。
「村富線」の由来は、星が丘交差点からそのまま直進していった先にある「村富神社」とされています。
現在「村富」という地名はありませんが、村富神社付近から星が丘交差点までの道路は市道「村富星が丘線」と名前がついています。
いざ お散歩へ
スタートは相武台前駅
12月中旬の週末10時22分です。
現在、小田急小田原線の相武台前駅に居ます。

実はこのお散歩は、県道51号線のバイパス区間のお散歩に続けて行っています。
↑こちらの記事の最後の写真たる電車の写真、その3分後が上の駅名標の写真となります。
51号バイパスのお散歩を座間警察前から座間市消防本部前へと、終点から逆向きにすればルートは簡単だったのですが、首謀者(自分)が起点方向から終点方向へ歩くことにこだわったため、座間駅から相武台前駅まででんしゃで戻ってきたのです。

ということで本日2回目(80分ぶり)の相武台前駅です。
ご無沙汰しておりますお久しぶりです。

起点・相武台団地入口交差点へ
というわけで10時30分に相武台前駅を歩き出しました。

県道507号線(村富線)の起点である「相武台団地入口交差点」までは、県道51号線(行幸道路)を歩いていきます。

「県営住宅入口」バス停です。
バス停の路線図では循環系統もあって不思議な形になっていますが、その中で最も遠くまでいく「相27」系統「相模原駅南口行き」と、おおまかには似たような感じで進んでいきます。

電線が絶望的な位置にフィットしてしまいましたが、「相武台団地入口」交差点の案内標識が見えてきました。
直進町田・相模大野方面は県道51号線、右折大和方面は県道50号線、そして左折上溝方面が県道507号線となっています。

県道507号線の起点である「相武台団地入口」の信号が見えてきました。
主要な道路同士の交差点ということもあり、交通量もかなり多くなっています。

相武台団地入口交差点(起点から0km)

ということで県道507号線の起点である「相武台団地入口」交差点にやってきました。
この写真で直進方向が相模大野方面、右が大和方面、左が県道507号となります。

最初の写真(及び交差点の案内標識)において右奥(右上)にあたる位置の県道番号標識です。

現在立っている位置の右側にある県道番号標識です。
ちょっと曲がっちゃってますけど。
写真で奥の方向が県道50号線大和方面です。

こちらも現在立っている位置にある県道番号標識です。
微妙に曲がっている気もしますが県道507号は微妙に下り坂なので合っている気もします。

現在立っている位置の向こう岸(交差点案内標識で言うと左上)に立っている県道番号標識です。
曲がっていないけど少々お疲れの様子ですね。

交差点の様子です。
右方向が座間・海老名方面、左方向が相模大野・町田方面の県道51号線です。
奥方向が県道50号線で大和方面です。
それでは県道507号線のお散歩をスタートしましょう。
県道507号線を歩き始めます

左を向くと、若干の下り坂でのスタートになります。

県道507号線は、最初の0.1kmほどだけが座間市で、そのあとは相模原市内となっています。
こちらの工事の案内ですが、発注者が「神奈川県厚木土木事務所東部センター」となっています。
神奈川県厚木土木事務所東部センターが管理しているのは座間市の区間だけですのでここから0.1kmほどのみとなります。
相模原市の区間は政令指定都市である相模原市の管理となります。
神奈川県厚木土木事務所東部センターはいわゆる「県央4市」である「大和、海老名、座間、綾瀬」の4市を管轄としています。

歩道からだと枝に隠れてよく読めないのですが、上溝8km、麻溝台2.5kmという案内の標識があります。
前方には相模原市との市境の標識、そして相武台団地の遮音壁も見え始めています。
市境(起点から0.1km)

スタートしてまだ100mほどですが、相模原市との境につきました。
日陰になってしまって、「相模原市」の標識がちょっと見えにくくなっていますが市境です。
また画像内左側の信号機の脇あたりに、県道番号507の標識も見えています。
この高い位置に白ポールではなくコンクリート電柱にセットされた県道番号の標識は、このあたりではちょっとレアな気もします。(都心部や旧街道とかの狭いところではありますよねー)

遮音壁ゾーンに入ります。

望遠で遮音壁の中をのぞいてみると、相武台団地入口方向へ向かう車線はたくさんのクルマが連なっていますね。
相武台団地入口交差点は交差する道路も主要な県道である県道51号線ということで信号でどうしても詰まってしまうようです。

電柱の住所表示は「南区相武台」となっています。
これはおそらく、隣接する座間市にも「相武台」という地名があることから、わかりやすくするために表記されているのだと思います。
相武台団地と遮音壁区間
すこし進むと、かなり年季の入った相武台団地の案内図がありました。
昭和44年7月と言ったらあれですよ。
僕らが生まれてくるずっとずっと前ですよ。
アポロ11号が月に有人着陸したのが1969年7月20日ですよ。

大阪万博よりも沖縄返還よりも前の日付ですが、ひょっとしたら実施されたのが1969年7月であって、この掲示板はもっと新しいかもしれませんね。
文字がしっかり読めますもの。
読めますが、若干よくわからないところがあるので、んーっと悩んだ末理解しました。

こういうことですね。
ひょっとすると、この案内板は、以前はこの図内の左下「現在地」に立っていたのかもしれません。

遮音壁区間は歩道がありませんので、遮音壁の外側にある歩道を歩きましょう。
歩道がなくても、歩行者進入禁止とはなっていませんが、迷惑ですし、危ないですから。

こんな感じで歩道が伸びています。
遮音壁の効果か、すぐとなりに幹線道路が走っているとは思えない落ち着いた雰囲気の空気が流れています。

そんな中、前方に現れたこちらの構造物。

遮音壁区間内のバス停へとアクセスできるようになっています。
こちらは「相武台団地」バス停です。

バス停を通り過ぎると、歩道橋というか遮音壁をオーバーパスする橋がありましたのでそちらに登ってみましょう。

…まぁ、そうですよねー。

登った高さのまま歩道が続くので、遮音壁を見下ろしながら進んでいきます。
また路面の高さまで降りると、

「団地北」バス停へのアクセスができるポイントがありました。
行幸道路方面を振り返ると

ちょうど対向車線を相武台前駅方面へと路線バスが行ってしまったところでした。
せっかくなので後ろ姿だけでも。
それにしてもやはり行幸道路向けは混んでいますね…

歩道を進み、左側(村富線と反対側・建物側)を見ると、ヒバリさんが静かに佇んでいました。
私の会うヒバリさんはひばり放送塔の上から「ぴーちゅるるるrrrrぴーちゅるぴーちゅるるるrrrr」と自主的にヒバリ放送をしている賑やかなヒバリさんが多いのですが、こちらのヒバリさんは物静かですね。

遮音壁区間の終わりが近づくところでまた歩道橋がありましたので登ってみましょう。
振り返ってみますが、

…デスヨネー。

あ、でも大山さんお久しぶりです。
いや、そんなにお久しぶりでもないか…。
相武台団地と村富線
相武台団地とは…Wikipediaに単独記事がありました。
こちら、簡潔に沿革がまとめられてましたので、まずはリンクをご紹介。
神奈川県住宅供給公社の70周年記念サイトでも相武台団地が紹介されていました。
貴重な写真も紹介されています。
ここで再び案内板を。

相武台団地が完成したのは案内板の通り1969年で、着工は1964年ということです。
案内板では、ちょっと見にくいのですが、現在の県道507号線にあたる道路に「都市計画街路」と書いてあります。
今回歩いた区間の県道507号線が完成したのはこちらもWikipediaによれば1980年代後半ということです。
後半といいましても結構幅がありますが、団地完成からは時間がかかったのですね…。
国土地理院の航空写真をチェックしていくと、1984年12月撮影の航空写真ではこの区間は絶賛工事中のようです。(ひょっとしたら交通量が少ないだけかもしれない…)
1989年11月撮影の航空写真では車両が通行している様子が見られます。
この間に開通したようですね。
レファレンス協同データベースさんに
という記事がありまして。
その中で
.Ⅰ-①に、昭和60年3月に供用開始と記述あり。当時の神奈川新聞の記事を探した。
『神奈川新聞 相模原・津久井版 昭和60年1-6月[製本]』 神奈川新聞社 1985 【s26488031 K1-07】
昭和60年3月23日に、「県道村富相武台線26日に全面開通」の記事あり。
という記述があり、先程の1984年12月の航空写真で絶賛工事中だった区間もなんとか年度内に間に合ったのですねよかったよかった。
ところで、「県道村富相武台線」という表記なんですが、都市計画道路としては「3・4・5村富相武台線」という名前が今も健在なんですけれども、県道の名前として「村富相武台線」という時代があったのでしょうか、その場合起点が星が丘ですらなく矢部一丁目の可能性も出てくるのですが。
あぁー、座間市のWEBサイト内「市のあゆみ」(PDFファイル)でも昭和60年3月に「県道村富・相武台線全面開通」って書かれてるー。
仮に初期に「県道村富相武台線」という時代があったのなら、それを略して「村富線」と呼ぶようになったという説も出てくるじゃん…。
「県道村富相武台線」で検索すると令和のページでもその名前を結構使っている方がいらっしゃる…間違えてるのか愛称・俗称なのかそれとも以前はそうだったのか。
可能性として、平成3年に行幸道路が県道6号から県道51号に変更になった時、他の神奈川県道にもいろいろ変化があったと思うので、その時になにか村富線にもあったかもしれないですが…。
まぁこれちょっとすみません答えが出ないんですけれどもこのへんでとりあえず一旦pendingということで。
さっきのレファレンス協同データベースにあった資料を図書館で読んでみるのがとりあえず手がかりになるかな…。
次回予告
実は起点からまだ1kmにも達していないのですが、ここで一旦切ります。
(気がつけば5000文字オーバーになってしまいました…)

遮音壁区間を抜けて、車道に沿った歩道(普通の歩道)を歩いていきましょう。
次の記事はこちらです!!