さがみなみ

相模原市南区大好きサイト

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

県道51号線② ―行幸道路を歩いてみた―

 

 

企画概要

  • 県道52号線と並んで南区の重要な道路・行幸道路を歩いてみよう
  • 実は南区区間はあんまり多くないけど気にしない
  • せっかくなので起点から終点方向へ向かって歩いてみよう
  • とりあえず「行幸道路」の区間は歩いてみよう
  • 残りの「県道51号線」はまた考えよう
  • あまりにも暑くなるようならサスペンデッドゲームにしよう

といった感じのゆるめの企画です。

前回の記事はこちら

第1話から読みたい方はこちら

おことわり

今回は持ち歩いていたカメラさんのレンズが絶不調で、撮ったはずの写真が半分ほど撮れていない(撮影出来ていた枚数は52号線の時の半分)、撮れていた写真の半分は超絶ピンボケといった感じでした。なんとも悔しい感じではありますが、なんとか使える写真をひねり出して行きたいと思います。

 

 

ここまでのあらすじ

現在地は国道16号線と県道51号線との交点である谷口陸橋をくぐったところです。

ここから相模大野駅周辺の市街地を抜けて行きます。

 

 

お散歩の続きへ

相模大野交差点

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

相模大野交差点が見えてきました。

右手前は市営駐輪場、Pのマークは相模原市営相模大野立体駐車場です。

この信号で一旦向かい側の駐輪場側に渡ります。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

ここに一つの碑があります。

が、読めないっす…。

上のタイトルが「奉仕記念碑」なのはわかるのですが…。

 

ということで、インターネットの力をまたお借りすることにします。

そしてまたしても「レファレンス協同データベース」さんが教えてくれました。

いつもありがとうございます。

こちらには全文が紹介されていました。

出典は「相模原市史第4巻再販 相模原市編 1988 p570」です。

当時の県知事大村清一の撰文として、碑文の全文の掲載があった。
「昭和十二年九月陸軍士官学校ノ本県ヘノ移転ニ伴ヒ
府県道厚木調布線ノ一大改修ヲナスコトトナレリ、
県下青年ノ勤労奉仕ヲ求メ長期建設ニ処スル団体訓練ノ機会タラシムルハ
最モ意義深キヲ思ヒ、関係各方面ノ協力ヲ得テ、
昭和十三年七月ヨリ同十一月ニ亘リ、延人員青年団員三千三百九十三名、
学校報国団員四千八百四十四名、女子青年団員二百七十九名ヲ
奉仕セシメタリ、其ノ結果所期ノ目的ヲ達シ青年ノ心身鍛錬上
極メテ有意義ナリシノミナラズ、工事進捗ノ上ニ貢献スルトコロ亦洵ニ
甚大ナルモノアリタリ、仍テ之ヲ録シ記念トナス  
昭和十四年三月」

行幸道路にまつわる勤労奉仕の記念碑でした。

昭和13年といえば、国家総動員法が成立・公布・施行された年でもあります。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

その近くに、昔はどこでもよく見かけた地図看板がありました。

内容は、、微妙に古い…。

半分ぐらいしか現状に合ってないかもしれない…。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

相模大野交差点です。

歩行者がかなり多いため、歩車分離式の信号となりました。

(歩行者が青でも車道が青でも都合よく突っ走る自転車はちょっと怖い)

こちらを横断します。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

横断歩道を渡って、振り返ったところです。

画像の左下、歩道にある茂みの中、左寄りに、白っぽい碑がほんのり見えていますが、こちらが先程の奉仕記念碑です。

 

 

 

季節の橋

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

相模大野交差点から前方を見ると、「季節の橋」とよばれる横断歩道橋がかかっています。

相模大野駅からエスカレーターで降りたコリドーを抜け、エスカレーターで上ってくることができる橋です。

画像でいうと右側に、以前は伊勢丹があり、その中を抜けてグリーンホール・図書館・相模大野中央公園へと向かうことが出来ました。

伊勢丹の閉店・解体後は通り抜けができなくなり、季節の橋も行き止まりとなって渡ることができなくなっていました、が、

なんかこっち岸から上がれるようになっているじゃないですか!

工事していたのは知っていましたが、いつから渡れるようになったんでしょうか。

(帰宅後調べたところ、2024年3月から渡れるようになったそうです)

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

ということで、こちらの真新しい階段を登っていきましょう。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

登ったところはこんな感じです。

ちょっと前までは行き止まりなのでほとんど人もいない感じでした。

 

階段のところにも映っていましたが、右側の伊勢丹跡地には超高層マンションが建設中となっています。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

相模大野方向から来た場合の突き当りにはこのような広告が掲示されていました。

41階建てっすか…。

 

季節の橋で県道51号線を再び左側の歩道へと渡ります。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

そこから降りる階段からは、伊勢丹がいなくなってしまいむき出しになっているグリーンホール・図書館が見えています。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

こちらが進行方向になります。

右に見えている案内標識は

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

相模大野交差点の案内標識でした。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

地上に降りてきました。

こちらは「ロビーシティ前」交差点です。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

右に分かれていく道は相模女子大学方面へ向かう通り「女子大通り」となっています。

 

 

二つの合同庁舎

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

「ロビーシティ前」信号を横断して、先へ進みましょう。

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

比較的最近できた交差点「ボーノ相模大野入口」になります。

左手に見えているのは「菜香園」さんです。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

次の交差点は「市南区合同庁舎前」という信号です。

TSUTAYAの向こうに見えているのが相模原市南区合同庁舎で、南区役所もあの建物の中にあります。

 

この交差点を左に入ると「報徳二宮神社」があります。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

区役所のすぐ先にあるバス停はこちら「高相合同庁舎前」です。

相模大野駅と小田急相模原駅を結ぶ路線バスが停車します。

後ろに見えている信号の名前も「高相合同庁舎前」です。

 

高相合同庁舎というのは、こちらは神奈川県の機関が入っている建物になります。

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

現在は建て替え工事中のため、令和5年10月30日より、仮庁舎での業務となっています。

建て替え工事前は、いかにも昭和の役所建築というか学校みたいな建物がありました。

 

では、先に進みましょう。

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

見えている信号は「南保健福祉センター入口」です。

手前に見えているのは「牛骨らーめんほうき屋」さんです。

 

あれ? この交差点歩道橋なかったでしたっけ??

(次回へ続く)

 

 

相模大野駅周辺地区の51号線付近の移り変わり

今回も、「今昔マップ」さんのお世話になりたいと思います。

いつもありがとうございます。

 

相模大野駅周辺は移り変わりが激しすぎて図面が多くなってしまいましたすみません。

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

今昔マップさんで見られる一番古い版との比較になります。

左の1906年は今から120年近く前で、相模大野駅付近はひたすらに雑木林と桑畑といった感じです。

しかし県道51号線となる道は当時からしっかりと描かれていて、120年前から重要な道路であることがうかがわれます。

版図の範囲では、現在の淵野辺中和田線沿いにある「山野集落」が唯一の集落で、ほかに建物の姿はほぼ見当たりません。

矢印の位置にある「谷口山野稲荷神社」はすでに今と同じ位置にしっかりとあります。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

まだ小田急線も通っていない1921年です。

開発はまだ進んでおらず、相変わらず山野集落と谷口山野稲荷が目立っています。

左の図で水色でなぞったのは、大沼・小沼を水源とする「深堀川」です。

現在ではほぼ暗渠となっていて川の流れをうかがうことは出来ませんが、この時点ではまだ流路がはっきりと描かれています。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

小田急線開通(1927年小田原線開業、1929年江ノ島線開業)直後、1929年の版になります。

「”軍都相模原”前夜」といったところでしょうか。

相変わらず山野集落と谷口山野稲荷ははっきりと目立っています。

小田急線は開通しましたが、小田原線と江ノ島線の分岐点に駅は設置されていません。

見渡す限りの原野ですので仕方ないところです。

分岐点には「大野信号所」が設けられていました。

県道51号線となる道路では、左下「谷口新開」の文字の下側は現在とルートが異なっています。

おそらくこのあと「行幸道路」として整備する際にルートが変わったものと思われます。

当時のルートの道もほぼ現存します、右の版で紫でなぞったルートです。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

先程の1929年のあと、こちらの1954年の版までの間に相模大野駅周辺は慌ただしく変貌します。

「軍都相模原」として、行幸道路や国道16号線などが整備され、一面の荒野だった地区に軍事施設が続々と設けられます。

相模大野駅周辺で言うと、現在、相模女子大学・神奈川県立神奈川総合産業高等学校・相模原市立大野南中学校・相模原市立谷口台小学校などがあるエリアは1938年~1939年に移転してきた「陸軍通信学校」があったエリアです。

終戦後、跡地に前記の学校などが建設されました。

こちらの陸軍通信学校が移転してくるのに伴い、「通信学校前」として1938年に相模大野に駅が設置されました。(1941年に「相模大野」駅に改称)

また、現在、相模大野中央公園やグリーンホール・立体駐車場などがあるエリアは、1940年に設置された、陸軍相模原病院の跡地です。

戦後は米軍に接収され、米陸軍相模原医療センターとなり、1981年に返還されました。

相模大野駅前は北口もまだ東寄りは何も無いような状態、南口側はまだ昔のままといった感じです。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

少々版を飛ばして、1983年の図面です。

相模大野駅北口の区画は現在にだいぶ近くなってきました。

南口はまだ開発途中でしょうか。

谷口山野稲荷も安泰ですが、その脇、国道16号線が立体交差になっていることがわかります。

また、相模大野六丁目には報徳二宮神社が竣工しています。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

平成に入りまして、1998年の図です。

米軍医療センター跡地には国・県・市の施設、伊勢丹などが出来上がりました。

相模大野駅の改築工事も終わり、駅の上に駅ビルが出来ています。

また、その際に線路を掘り下げたため、淵野辺中和田線の踏切が立体交差になりました。

南口の再開発が進み、駅前から伸びる道路も完成したようです。

現在の図で「文化会館」と書かれているのは「グリーンホール」のことです。

 

ここまで移り変わりを見てきてわかるのは、

「谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉」最強ってことですかね…。

 

今回使用させていただいた今昔マップさんのアドレスはこのへんになります。

途中飛ばした版も見ることが出来ますのでご興味のある方は是非どうぞ。

 

 

次回予告

次回は南保健福祉センター入口交差点あたりから小田急相模原駅方面を目指して進んでいきます!

次の記事はこちらになります