企画概要
- 県道52号線と並んで南区の重要な道路・行幸道路を歩いてみよう
- 実は南区区間はあんまり多くないけど気にしない
- せっかくなので起点から終点方向へ向かって歩いてみよう
- とりあえず「行幸道路」の区間は歩いてみよう
- 残りの「県道51号線」はまた考えよう
- あまりにも暑くなるようならサスペンデッドゲームにしよう
といった感じのゆるめの企画です。
前回の記事はこちら
第1話から読みたい方はこちら
おことわり
今回は持ち歩いていたカメラさんのレンズが絶不調で、撮ったはずの写真が半分ほど撮れていない(撮影出来ていた枚数は52号線の時の半分)、撮れていた写真の半分は超絶ピンボケといった感じでした。なんとも悔しい感じではありますが、なんとか使える写真をひねり出して行きたいと思います。
ここまでのあらすじ
現在地は相模大野6丁目付近、「南保健福祉センター入口」交差点の近くです。
相模大野駅周辺の中心地を抜けて、小田急相模原駅周辺を目指していきましょう。
お散歩の続きへ
南保健福祉センター入口交差点
ほうき屋さんの先に見えているのが「南保健福祉センター入口交差点」です。
記憶ではこの交差点に歩道橋があったと思ったんですが…。
いつも通るのは夜の暗いときが多かったから気づかなかったのかもしれないのですが、どうやら、昨年7月中には撤去されていたようです。
googleマップのストリートビューで見ることのできる在りし日のお姿はこちら
こちらはまだ綺麗に修繕されていた2011年
こちらはまさに晩年、2023年1月の様子です。
築55年以上という情報も見つかりました。
長きに渡り子どもたちの通学を(文字通り)支えてくれてありがとうございました。
おつかれさまでした。
歩道橋の名前「谷口歩道橋」って言ったのですね。
振り返って見たところです。
歩いてみたシリーズで楽しいことのひとつとして、歩道橋から道筋を眺めるところがあるのでちょっと残念ですが、まだこの先にも歩道橋はあるはずなので大丈夫です。
それでは先に進みましょう。
オダサガ目指して前進
旭町、豊町のバス停を通過しました。
このあたりは相模大野駅と小田急相模原駅の中間ぐらいの位置になるのですが、沿道の建物が途切れることはなく、住宅や事業所などが連なっています。
そして前方に小田急相模原のランドマークのひとつでもある「ペアナード・オダサガ」が見えてまいりました。
地上29階建て、高さ103.79mのタワーです。
さすがの迫力ですね。
ということは相模大野の伊勢丹跡地に建設中のタワーもかなり目立つでしょうね…(地上41階建て、高さ約152mだそうです)
4月の花見さんぽの時に通った水道みち緑道ですね。
鶴ヶ丘歩道橋
鶴ヶ丘バス停に来ました。
前方に待望の歩道橋が見えております!
鮮やかに県道マーク、そして歩道橋名が名乗られております。
早速登ってみることにしましょう。
つるがおかほどうきょう、という文字がありました。
こちらは歩いてきた元の方向、相模大野方面です。
写真の一番奥に、まるで山の上のリゾートホテルのような位置で写っているのは、相模女子大のとなりにある、相模大野住宅です。
12階建て…だったと思います。
ということは相模大野伊勢丹跡地タワーができたらこの画角ではまったく入らないという可能性も高いですね。
その左手前に見えている屋上に緑のあるグレーの建物は、相模女子大学の校舎です。
こちらは進行方向小田急相模原駅方面です。
望遠で撮ると奥行きが圧縮されますので、上の写真ではだいぶすっきりしているように見える電線・電柱が、下の写真ではえらくごちゃごちゃして見えますですわね。
まぁクルマの量はどちらを見ても多く見えますけれども(実際多いです)。
さんざん眺めて楽しんでおりましたが、いかんせん今日はちょっと暑いので降りることにしました。
すると歩道橋の足元、というか51号線から見て裏側に碑がありました。
ここはノーチェックでした。
本当に知らなかったのでびっくりしました。
黄緑色は歩道橋の橋脚、向こうに見えるのが県道51号線行幸道路です。
これは行幸道路歩いてても気づかないわー。
見つけてくれた同行者に感謝です。
各面に書かれている文字は、
府中道
北東 府中方面
南西 厚木方面相模原市 昭和六十三年三月
おもに府中へ向かう人々が行き来した道だったのでこの名があります
また「町田道」「厚木道」などとも呼ばれていました
「中和田新開」はこの道に沿って開かれています
となっていました。
ということは、この交差点を斜めに横切る道が「府中道」ということですね。
(再度登る)
「北東 府中方面」ヨシ!
「南西 厚木方面」ヨシ!
こういうことですね!
そして小田急相模原へ
ということでけっこうゆっくりしてしまった鶴ヶ丘歩道橋をあとにして前進していきましょう。
ペアナードオダサガをバックに、久々に見た気がする県道標識です。
右に見える木々は、二宮神社です。
見えているバス停は、二宮神社前となります。
ということで、無事に小田急相模原駅前まで到着です!
(次回へ続く)
南台周辺地区の51号線付近の移り変わり
今回も、「今昔マップ」さんのお世話になりたいと思います。
毎度どうもありがとうございます。
前回は図面大量となってしまいましたが、今回はコンパクトに図面は1枚で行きます。
1927年に小田急線が開通してすぐの、1929年の版になります。
のちに県道51号線となる道路は、このあたりでは現在とルートの異なる場所が多そうです。
左の1929年の版で力強く書かれている道筋を緑色でなぞり、右の現在の地形図にコピーしてみました。
右の図面では黄色い道路が県道51号線ですが、その周辺にくねくねと現在でも現存する道路がほとんどです。
鶴ヶ丘歩道橋のところに立っていた碑についても、これで説明がつきそうですね。
ちなみに左の地図で、この次に目立つ力強さで書かれている道、これ、どこに向かう道でしょう、なぞって右の現在の地図にコピーしてみました。
この道路、現在の地図で言うと、米軍住宅を抜けたあとは、相模台団地の南側に沿って進み、相模台五丁目交差点で村富線を横断し、相武台中学校沿いから座間キャンプのゲートに進む道です。
座間キャンプ(陸軍士官学校)のなかったこの1929年の地図では、そのまま丘陵地を突っ切っています。
現在のgoogleマップにも記載されている、勝坂地区のまがり坂に出るのではないかと思います。
そして勝坂遺跡の南を通って、磯部の中心部へと達するような道でした。
また、この地図の1929年当時では小田急相模原駅はまだ開業していません。
小田急相模原駅が開業するのは1938年(当時は「相模原駅」)ですので、当時の小田急線は、町田駅(当時は「新原町田駅」)を出たら、次の停車駅は相武台前駅(当時は「座間駅」)まで、原野の中を突っ切って爆走していたことでしょう。
今回使用させていただいた今昔マップさんのアドレスはこのへんになります。
当時の府中へのルートや、磯部に向かう道など、ご興味のある方は是非どうぞ。
ほんと超楽しいですから。
次回予告
次回は小田急相模原駅周辺から、座間市に入っていきます!
次の記事はこちらになります。