企画概要
- 県道52号線と並んで南区の重要な道路・行幸道路を歩いてみよう
- 実は南区区間はあんまり多くないけど気にしない
- せっかくなので起点から終点方向へ向かって歩いてみよう
- とりあえず「行幸道路」の区間は歩いてみよう
- 残りの「県道51号線」はまた考えよう
- あまりにも暑くなるようならサスペンデッドゲームにしよう
といった感じのゆるめの企画です。
前回の記事はこちら
おことわり
今回は持ち歩いていたカメラさんのレンズが絶不調で、撮ったはずの写真が半分ほど撮れていない(撮影出来ていた枚数は52号線の時の半分)、撮れていた写真の半分は超絶ピンボケといった感じでした。なんとも悔しい感じではありますが、なんとか使える写真をひねり出して行きたいと思います。
ここまでのあらすじ
現在地は町田市と相模原市南区との市境である境橋です。
ここから相模原市南区の相模大野方面へ向かっていきます。
現在地の標高が79mということです。これから谷口交差点付近の標高95mまで一気に登っていきます。
お散歩の続きへ
坂を登りましょう
境橋を渡ります。
相模原市の文字が迎えてくれました。
では進んでいきましょう。
道の先、黄色い看板が松屋さんになります。
その松屋のある交差点から登り坂になっていきます。
その交差点のすぐ先、右を見ると
大きな神社である鹿島神社さまの鳥居と参道が見えています。
今日はここで手を合わせるだけにして、お参りはまた今度ということにします。
坂を登ります。
坂をほぼ登り切ると
左側に谷口幼稚園さん、そしてその先の信号脇には「〈51〉」の標識がありました。
さらに進むと、小田急線を渡る陸橋になります。
「やぐちこせんきょう」と書いてあります。
右を向くと、町田方面が見えました。
上を向くと、飛行機が飛んでいました。
この先の谷口陸橋の案内が出てきました。
跨線橋の先、セブンイレブン谷口店付近が標高95mの、県道51号線最高地点ではないかと思われます。
谷口交差点
国道16号線の旧道とされる、現在の市道淵野辺中和田線との交点が谷口交差点になります。
こちらの交差点付近には、いくつかの文化財があります。
まず交差点に面したところにある、庚申堂と題目塔です。
現在の題目塔は令和元年に再建されたものであるということが記されています。
日蓮聖人像にお着せする「お召服」を奉納する「武相お召し服講」のみなさんによって受け継がれてきた「お召服奉納」が150年の節目ということ、道路の拡幅により張り出してしまっていたことなどを踏まえ、二百年以上経って傷みの目立つ題目塔を更新されたということです。
ちなみにgoogleストリートビューで見られる以前の姿はこんな感じでした。
確かに夜とかにぶつかる人や自転車多そうだしなぁ…
今はスマホ見てて前見てない人も多いし…。
谷口交差点から淵野辺中和田線を線路方向へ少し入ったところには、「八王子道の道標・道祖神・力石」があります。
歩道のない狭い道路のため、同行者にクルマが来ないか見ててもらって撮影しました。
「おもに八王子へ向かう人が行き来した道だったのでこの名があります」とのことです。
「力石」と書いてある力石です。
上鶴間公民館のサイトによりますと、「力石は重さ80キログラムで元は2個あったが、道路工事の際紛失してしまった。残った1つの石に2度と無くならないように「力石」と文字を刻んだという。 」とのことです。
県道51号線の谷口交差点に戻りましょう。
しかし、この地域を歩いていると、上鶴間本町という地名は「谷口」「中和田」ではいかんかったのかなぁとつい思ってしまいます。
谷口陸橋で国道16号線と交差します
谷口交差点から200mほど歩くと、国道16号線の谷口陸橋で交差することになります。
交通量の非常に多い国道16号線と、こちらも交通量の非常に多い県道51号線の交点ということで、いつも混雑している印象があります。
とりあえず日陰を日陰をください…ということで国道16号線の下に入ってみましょう。
反対側の側道方向を見たところです。
県道51号線を示す標識と直行する形で国道16号線を示す標識が、その奥の側道脇には国道16号線を示す標識がさらに設置されています。
谷口陸橋をくぐり抜けると、
右奥に真っ赤な鳥居が見えています。
谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉です。
谷口陸橋から先は相模大野駅周辺の市街地といった感じになり、店舗を始め各種施設が集中し、またあわせて歩行者や自転車もかなり増えてきます。
谷口地区の51号線付近の移り変わり
今回も、「今昔マップ」さんのお世話になりたいと思います。
本当にいつもありがとうございます。
左が小田急線が昭和2年(1927年)に開通した直後の昭和4年(1929年)の地図、右が現在です。
左の1929年の地図上で、県道51号線の前身に当たると思われる道路をなぞり、右の現代の地図にコピーしてみました。(若干ずれを修正しました)
「行幸道路」として整備される前の道なので、小田急線を超える部分は跨線橋ではなく踏切となっています。
この踏切は鹿島神社の前を通る道とともに今も残っており、踏切近くには「鉄道記念謝恩碑」という碑も立っています。
そして現国道16号線はまだ開通していないため、主要道路として描かれている道路は現在の市道淵野辺中和田線となります。
現在の谷口交差点付近に「山野」と字名が書いてあります。
お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、現在の谷口陸橋脇にある「谷口山野稲荷神社(蚕守稲荷大明神)」の「山野」です。
右の現代の地図と同じ位置に、左の地図でもしっかりと鳥居の記号が描かれています。
今回使用させていただいた今昔マップさんのアドレスはこのへんになります。
小田急線開業前の明治39年(1906年)からの移り変わりを見ることが出来ますのでご興味のある方は是非どうぞ。
明治の時代から桑畑の中でぽつんと栄えていた山野集落がだんだんと巨大化する市街地に飲み込まれていく様子もうかがえます。
次回予告
次回は相模大野駅近くの県道51号線を歩き進んでいきます!
次の記事はこちら!