企画概要
あけましておめでとうございます。
ということで、新春らしいお散歩をしよう、ということで企画されました。
一応だいたいの計画は立ててありますが、どうせ予定通りにはいかないので、臨機応変現地調べで行きたいと思います。
夕食会場は予約してあるので、どれだけおなかをすかせられるか、頑張りたいと思います。
集合・JR相模原駅
「初詣っていうのは、得てして朝暗いうちからスタートするものではないだろうか?」などと言い、本日の集合は朝7時です。
相模原市中央区の今日の日の出は6時52分ということですので、今日は日の出直後からお散歩していきたいと思います。
集合かけた本人(自分)が危うく遅れるところでしたがギリギリ間に合いました。
JR相模原駅の改札前です。
三が日ということもありましてそれほど人出は多くないですね。
無事に合流しましてスタートとなります。
家を出発した時はまだ暗かったですが窓の外を見ると少し明るくなってきましたね。
現在7時8分です。
立体駐車場の脇を抜け、こちらに降りてきました。
さすがにちょっと涼しいですけれども、歩いているうちに温まりますからまぁがんばって歩きましょう。
ではスタートです。
まずは氷川神社へ
相模原駅前公園をスタート
現在地は「相模原駅前公園」です。
「相模原市中央区相模原1丁目1」というなんかエリート感を感じる住所です。
地元の掲示板に、氷川神社の初詣の御案内が貼ってありました。
さすがの存在感ですね。
しばらく進むと、電柱にこんな住所表示が。
バス通りに出たところで右折します。
こちらの写真は相模原駅方向を見たところです。
写真でいうと右手前方向へ進んでいくことになります。
清新本町というバス停があります。
清兵衛新田、略して清新。
さがみっ子なら周知の事実♪
早速バスが来ました~と思ったら、路線バスではなく、ロジポート相模原さんのバスでした。
こちらの通りは「市道相模氷川線」ですが、愛称名として「氷川通り」という名が付いています。
前方に交差点の案内標識が見えてきました。
こちらの市道と交差するのが、「神奈川県道・東京都道503号相模原立川線」となります。
「相模原」「立川」という大きな街の地名を冠した道路ですが、番号からも分かる通り、主要地方道ではなく、狭隘区間・不通区間・通行不能区間・未成区間などもあり、なかなか”味わい深い道路”と聞いております。
今回の本題ではないので深掘りはしませんが、興味のある方は調べてみてはいかがでしょうか。
「氷川神社前」交差点
7時20分です。
「氷川通り」と県都道503号線が交差する「氷川神社前」交差点にやってきました。
広々とした交差点です。
左奥が橋本方向、右奥が境川方向です。
左手前に曲がると国道16号線方向、右手前が歩いてきた相模原駅方向です。
相模原駅方向はこんな感じです。
なんというか、東横インのラスボス感がすごいですね…。
左折方向、国道16号線方面を望むと、県道番号の標識の向こうに、氷川神社が見えてきました。
氷川神社
7時25分、氷川神社に到着しました。
先程の「氷川神社前」交差点から見ると奥側、国道16号線側に鳥居があります。
鳥居前から見た境内の様子です。
まだ薄暗いため、灯りが大変綺麗です。
境内ではいろいろな方が朝の準備を進めているところのようです。
ありがとうございます。
鳥居の扁額です。
映り込んでいるのは提灯の灯りです。
花手水です。
相模原氷川神社の社殿です。
4列にお並びくださいとのことですが我々は今日は3名なので横隊で大丈夫です。
扁額です。
お参りさせていただきました。
社殿をちょっとかっこいい(と思った)角度で撮ってみました。
角度よりも薄暗いのが灯りを際立たせていてかっこよくなりました。
鳥居の方向を向いてみました。
昨日までにたくさんの方が来られていたことがうかがわれます。
氷川神社社殿に向かって右側にある福徳稲荷大神です。
さらに右を向くと、社務所などがあります。
こちらの氷川神社は、初詣期間以外でも職員の方がいらっしゃる神社となっています。
(詳しくはのちほど)
あらためて氷川神社さんの社殿を。
右のたくさんの鳥居は福徳稲荷大神さんのものです。
境内にあった「開墾記念碑」です。
こちらの題字は、江戸15代将軍の徳川慶喜公によるものです。
明治45年(1912年)に建てられた碑ということですので、1913年没の慶喜公晩年の書となります。
ちなみに「慶喜」の読みについては現在は「よしのぶ」より「よしひさ」が優勢なのでしょうか。
徐々に明るくなってきました。
我々も次を目指して歩き出すことにします。
お邪魔いたしました。
ありがとうございました。
氷川神社について
境内には、氷川神社についての相模原市・相模原市観光協会による(ちょっと古めの)案内板がありました。
これによると
この神社は、天保14年(1843年)に小山村の豪農、原清兵衛光保(はらせいべいみつやす)が新田開発をするにあたって高尾山の氷川神社から分霊を受け、ここに鎮守の神として創建したものです。
安政3年(1856年)の検地では、49人の入植者と開発面積205町7反9余、石高420石2斗余が記録されています。
また、本殿は相原にあった「外の御前社(そとのごぜんしゃ)」を神意により移築したものと伝えられています。境内にある「開墾記念碑」は、清兵衛新田入植者の偉業について記されていますが、書は第15代将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)によるものです。
相模原市 相模原市観光協会
とのことです。
相模原台地「上段」の新田開発に伴って19世紀中頃に創建されたということで、相模原市内でも川沿いの地域に比べると新しい神社となりますが、江戸時代から今に至るまで多くの人々に愛されている大きな神社です。
氷川神社さんには公式WEBサイトがあるのですが、こちらがとても充実されているので、是非一度ご覧になってくださいませ。
「神職が常駐しておりますので」というところがすでに強い…(南区民的発想)
FacebookやInstagramも頻繁に更新されています。強い…。
また、Wikipediaにも単独記事があります。
ちなみにSC相模原さんの必勝祈願もこちら氷川神社さんです。
次回予告
氷川神社さんへのお参りを終えてまだ現在7時48分です。
上の広大なマップにいったいどんな意味があるのでしょうか。
次回はあの大きな神社にお参りさせていただきます。
次回記事はこのへんです