さがみなみ

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谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

 

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉とは

神奈川県相模原市南区相模大野二丁目、神奈川県道51号線(行幸道路)と国道16号線の交点にある「谷口陸橋」のすぐそばに鎮座している神社です。

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

徒歩、自転車、バス、などなど、ここを通る人は多いと思いますので、赤い鳥居を見たことのある方も多いかもしれません。

クルマでしたら、保土ヶ谷バイパス方面から谷口陸橋で行幸道路方面へ降りようというときに左斜め前方に見える、あれです。あの神社です。

 

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

境内にありました由緒を引用させていただこうと思って写真を撮ってきたのですが、冬の日差しが角度的にしっかり反射してしまってよく読めません…。

文明の利器(トーンカーブ)でなんとかします。

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

谷口山野稲荷神社縁起

当稲荷神社は谷口郷霊現閣と称し 安永三年(一七七四年)徳川十代将軍家治の時代には すでに祀られていた
嘉永七年(一八五四年)正月に 京都伏見稲荷大社より 養守と記されている 御霊をいただいた
当時 唯一の産業だった養蚕の神として尊崇され 毎年四月十七日の大題目(祭礼)には近郷近在よりの参拝者によって 境内はあふれる程の賑わいで 皆養蚕の豊作を祈ったのである
社会の変遷により養蚕農家もなくなり現在では五穀豊穣 家内安全 学業成就 交通安全など
招福除災の神として人々から信仰されている

平成十年(一九九八)七月二十四日 

ということで、おそらくこんな感じのことが書いてあるのではないかと思われますすみません。

現在は国道16号線を境界として上鶴間本町と相模大野に住所が分かれてしまいますが、以前はこのあたりと上鶴間本町の半分ほども含めて「谷口」という地名(地域)でした。今でも神奈中バスのバス停名や谷口陸橋、幼稚園や小学校中学校などの名前として谷口の名が残っています。

参考

そんな谷口地区は昭和中期までは養蚕が大変盛んでしたので、その養蚕の神として、こちらの稲荷神社は長い間にわたってとても大事にされてきたことがうかがわれます。

昭和から平成に変わる頃には社会の変遷・都市の発展に伴い、谷口地区での養蚕は終焉となりましたが、令和の今に至るまで、谷口地区の皆さんの守り神として愛され親しまれている神社です。

 

アクセス

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

公共交通機関

駅から徒歩

小田急線の相模大野駅北口から徒歩7分ぐらいで到着できると思います。

こちらのgoogleマップでは鳥居をくぐって本殿にたどり着くまでの距離と時間になってしまっていますので、鳥居までならもう少し近いと思います。

所要時間に関しては行幸道路を渡る信号待ちに大きく左右されるのであくまで7分程度ということで。

北口を出たらモアーズの前から道路に降りて、相模大野交差点で県道51号(行幸道路)を横断して、右に曲がって16号方面へ歩けば到着です。

とりあえず国道16号線の谷口陸橋を目指して歩けば大丈夫です。

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

 

路線バス

路線バスの場合は「相模大野駅北口」または「相模大野駅南口」で下車ののち、上記「駅から徒歩」のルート通りで到着できると思います。

また、各方面から相模大野駅に向かう路線で、「谷口」「グリーンホール前」に停車する場合は、そちらで降りた方が若干早く稲荷神社に到着できるのではないかと思います。

 

クルマ

こちらの稲荷神社にクルマが停められるようなスペースはありません。

「相模大野」交差点に面した相模原市営立体駐車場の利用が便利と思います。

また、谷口陸橋の向こう側などにはコインパーキングもあるようです。

 

参考までに周辺地図は以下のとおりです。

 

行ってきました(2024年1月下旬)

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

2024年1月下旬にお邪魔してきました。

車通りの絶えない行幸道路や国道16号線の喧騒からほんの一歩入っただけで、空気が変わったような気持ちになりました。

 

鳥居です。

稲荷神社らしく、鮮やかな色となっています。

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

そして本殿前まで、寄進された鳥居が続いています。

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)



鳥居をくぐり終えると、

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

右側に手水舎と、由緒の書いてある案内板がありました。

この写真の右奥に見えている高架道路は谷口陸橋です。本当にすぐそこなんです。

 

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

本殿前に到着しました。

 

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

こちらは向かって右の狐様です。

 

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

こちらが向かって左の狐様です。

 

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

本殿です。

ものすごく大きいということはありませんが、屋根下の透かし彫りや彫刻がとても重厚で美しいと思いました。

左寄りに貼ってある案内は

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

このような感じでした。

 

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

扁額です。

シンプルイズベスト。

 

先程のお礼などには「山野稲荷神社」との署名がありますが、鳥居の前には大きく「正一位蚕守稲荷大明神」と書いてありますので、おそらく「どちらも正しい」のではないかなと思います。

本名というか届け出というか、そういった場合には「山野稲荷神社」なのかな、といった印象です。

地元では「蚕守稲荷」でも間違いなく通じると思います。

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

本殿から鳥居の方向を振り返ってみます。

見ての通りの日差しの角度ですのでそりゃ金属板の案内はなかなかスマホの写真にはうつりにくいよなぁ、と思いました。カメラだったら偏光フィルタとかでなんとかなるかなー。

 

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

一旦境内の脇に出て、本殿を横から見学させていただくことにします。

いいお天気ですね。

 

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

色鮮やかな本殿は奥に長くのびていました。

 

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

本殿のすぐ後ろには「保存樹木」の札の付いた木がありました。

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

奥が「カヤ」、手前が「イチョウ」と書いてありました。

どちらも立派な木ですので、おそらく国道16号線の発展も見下ろしたり(谷口陸橋が出来たら)見上げたりしてきたのでしょう。

 

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

その奥にある「宝蔵庫」にはいったい何が収蔵されているのでしょうか。

祭事に使うようなものでしょうか。

 

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

最後に、保存樹木、本殿、たくさんの鳥居、国道16号線谷口陸橋が一枚の写真に入りましたのでご紹介します。

このように非常に交通量の多い国道16号線と県道51号線行幸道路に囲まれたところにありながら、いざ鳥居をくぐると、空気が変わったようにも思える気持ちの良い空間がそこにありました。

 

おじゃまいたしました。

ありがとうございました。

 

行ってきました(2024年12月上旬)

よく前を通るのでお参りもよくしているのですが、ちょっと思い出して裏の方まで行ってみました。

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

まずはお参りを。

そして社殿の裏手へ。

 

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉(相模原市南区相模大野)

大きなイチョウの木があったのを思い出して来たのですが、12月に入ってもまだ緑の葉でした。

イチョウさんでもいろいろな要因で黄色くなったりならなかったりするそうです。

 

おじゃまいたしました。

ありがとうございました。

 

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉付近の移り変わり

当サイト内「県道51号線歩いてみた③」に記載した図版などをこちらでも紹介しておきます。

 

今回も、「今昔マップ」さんのお世話になりたいと思います。

いつもありがとうございます。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

今昔マップさんで見られる一番古い版との比較になります。

赤い矢印をつけた神社の記号が谷口山野稲荷神社〈蚕森稲荷大明神〉です。

左の1906年は今から120年近く前で、相模大野駅付近はひたすらに雑木林と桑畑といった感じです。

しかし県道51号線(右図で黄色くなぞられている道)となる道は当時からしっかりと描かれていて、120年前から重要な道路であることがうかがわれます。

版図の範囲では、現在の淵野辺中和田線(a.k.a.「旧道」)沿いにある「山野集落」が唯一の集落で、ほかに建物の姿はほぼ見当たりません。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

小田急線開通(1927年小田原線開業、1929年江ノ島線開業)直後、1929年の版になります。

「”軍都相模原”前夜」といったところでしょうか。

相変わらず山野集落と谷口山野稲荷ははっきりと目立っています。

小田急線は開通しましたが、小田原線と江ノ島線の分岐点に駅は設置されていません。

見渡す限りの原野ですので仕方ないところです。

分岐点には「大野信号所」が設けられていました。

県道51号線となる道路では、左下「谷口新開」の文字の下側は現在とルートが異なっています。

おそらくこのあと「行幸道路」として整備する際にルートが変わったものと思われます。

当時のルートの道もほぼ現存します、右の版で紫でなぞったルートです。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

先程の1929年のあと、こちらの1954年の版までの間に相模大野駅周辺は慌ただしく変貌します。

「軍都相模原」として、行幸道路や国道16号線などが整備され、一面の荒野だった地区に軍事施設が続々と設けられます。

相模大野駅周辺で言うと、現在、たくさんの学校などがあるエリアは1938年~1939年に移転してきた「陸軍通信学校」があったエリアです。

こちらの陸軍通信学校が移転してくるのに伴い、「通信学校前」として1938年に相模大野に駅が設置されました。(1941年に「相模大野」駅に改称)

また、現在、相模大野中央公園やグリーンホール・立体駐車場などがあるエリアは、1940年に設置された、陸軍相模原病院の跡地です。

戦後は米軍に接収され、米陸軍相模原医療センターとなり、1981年に返還されました。

谷口山野稲荷神社は、国道16号線の整備や、軍事施設の設置などによっても揺るがずその間にあります。

特に軍事施設がおかれるにあたっては、当時の情勢を考えると何があってもおかしくないと思いますので…。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

少々版を飛ばして、1983年の図面です。

谷口山野稲荷も安泰ですが、その脇、国道16号線が立体交差になっていることがわかります。

国道16号線の谷口陸橋建設にあたっても無事その場所をキープした山野稲荷神社です。

 

県道51号線③ ―行幸道路を歩いてみた―

平成に入りまして、1998年の図です。

米軍医療センター跡地には国・県・市の施設、伊勢丹などが出来上がりました。

相模大野駅の改築工事も終わり、駅の上に駅ビルが出来ています。

また、その際に線路を掘り下げたため、淵野辺中和田線の踏切が立体交差になりました。

谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉、まさに発展の歴史を見守っていますね…。

 

今回使用させていただいた今昔マップさんのアドレスはこのへんになります。

途中飛ばした版も見ることが出来ますのでご興味のある方は是非どうぞ。

 

まとめ

相模原市南区相模大野にある「谷口山野稲荷神社〈蚕守稲荷大明神〉」について書いてみましたがいかがでしょうか。

谷口地域の養蚕の歴史を見守り、養蚕が無くなった後もこの地域の目覚ましい発展を見届けてきた神社」ということが伝わったら幸いです。

気になることがみつかった方は是非当ブログ内の各ジャンルの記事にも飛んで読んでいただけたら嬉しいです。

相模原市南区に興味を持っていただき、また、この記事を読んでいただいてありがとうございました。