企画概要
- 涼しくなってきたのでまたお散歩を再開しよう
- 今回はこちらも南区の重要な道路・県道46号を歩いてみよう
- せっかくなので起点から終点方向へ向かって歩いてみよう
- とりあえず行けるところまで歩いてみよう
- 残りの「県道46号線」はまた考えよう
- 無理しない、なんかあったら悩まずリタイア(サスペンデッド)
といった感じのゆるめの企画です。
前回の記事はこちら
おことわり
今回は北から南へ向かって歩いているため、進行方向を撮ったほとんどの写真が大逆光でした。できるだけのことはしたのですが、特に引きの写真は逆光すぎて使えないものが多く、標識や看板などのどアップの写真が多くなっております。ご了承くださいませ。
途中見出しにある「起点から○○km」は、ネット上の地図サイトで測った距離であり、実際の道路における距離とは異なる場合があります。
ここまでのあらすじ
現在地は上溝市街地の端とも言える千年橋をこえたところです。
時刻はまもなく午前10時になろうかというところです。
いざ お散歩へ
田尻交差点(起点から1.3km)
前方に交差点の案内標識が見えてきました。
田尻交差点の案内になります。
ちょっと変形の四差路となっています。
元々は追分のような形だったと思います。
直進はこの先で国道129号に合流して厚木や平塚へと至ります。
案内にはないですが、右のちょっと細めの道へ行っても246号にたどり着きます。
田尻交差点の信号が見えてきました。
県道46号線方向へ一歩入った歩道から撮影。
右が上溝方向、左が国道129へ合流する道、正面は国道129へ直行する道、左手前が県道46号線当麻方面となります。
車が停車しているのが129から来た県道508号線になります。
追分にあたる箇所に何らかの石碑群がありますのでちょっと見てみましょう。
まずは追分の県道508号線側に近年建てられた解説付きの碑。
「大山参りの人々がよく利用した道だったのでこの名があります。この不動明王の石仏はその道しるべでもありました。また「埼玉往還」「八王子道」と呼ばれることもありました。」と記されています。
江戸時代にこのあたりの街道は正直みな大山を目指していたと言っても過言ではないほど大山さんは大人気でした。
また、明治に入ると開港した横浜への中継地としても大きく発展した大都会桑都八王子への道も各所から整備されました。
甲州・上州・信州などから横浜へ向かう集積点・中継点として大都会となった八王子、そしてそこから商港横浜へと結ぶ道の中でも、原町田がその中継点とまた大きく栄えることとなりました。
この追分を右に向かう道は現在でも国道129号-厚木-国道246号というルートで大山のある伊勢原へ向かうことが出来ます。
ということは、右に向かう大山道が幹線道路なメインルートであり、左に向かう現在の県道46号線は当麻・磯部・新戸・座間などの村々を結んでいく道だったのでしょう。
長年の風雨に耐えてきたため、かなり風化が進んでいますが、不動講という文字も見えますので、不動明王の石碑なのでしょう。
こちらは追分の県道46号線側に雑に置かれていた石碑群。
ちょっと画像をいじってみましたが風化が進んでいて読みにくいことは間違いないです。
右の面に「此方 橋本 八王子」という文字、左の面に「此方 麻溝村 座間村」という文字が見えます。
現在上空にある青い案内標識のご先祖様ですね。
先へ進みましょう
ということで県道508号線と別れて、県道46号線の単独区間となりました。
先程のちとせ橋交差点でバス路線も離れていってしまったので、しばらくバス停もないのでちょっとさみしいです。
もちろん相模線はすぐそばを通っているので中断可能なセーブポイントは番田駅に用意されています。
県道46号線の起点・上溝交差点からおよそ1.5kmのところ、相模原消防署上溝分署が左側にありました。
駅でいうともう上溝というよりは番田ですけれども、住所としては「相模原市中央区上溝2163-9」ということです。
上溝分署から100mほど進むと、番田駅の入口がありました。
案内標識のとおりに左を向くと、
JR相模線の番田駅が見えました。
番田駅も実は乗降したことがないのでまた次の機会にお邪魔したいと思います。
大きな釣具屋さんの手前に、県道46号線を示す標識がありました。
その標識の脇、上溝交差点から1.8km付近には
番田駅前郵便局がありました。
googleマップさんに聞いてみたところ、番田駅から210m、徒歩3分ということです。
駅前でいいと思います。
上番田交差点です。
上溝交差点から1.9km地点となります。
変則四差路となっていて、右に行くと国道129号、左に行くと鳩川方面へと向かいます。
この先の道です。
穏やかな線形で南へと向かっていきます。
番田交番先の石塔群(起点から2.0km)
番田の交番のすぐ先に、いくつかの石碑石塔が集まっている場所がありました。
風化の激しいものがおおいのですが、最後の写真は剥離せず残っているところにはっきりと出羽三山の名が記されています。
立派な出羽三山塔ですが、その昔、この地から出羽三山講があったのでしょうか。
裏に回ってちゃんと見てくればよかった…
ちょっと予定より遅れているので先へ進みましょう。
あ、でんしゃ。
上溝交差点から2.5km、諏訪神社入口交差点です。
見えているバスは路線バスではなく、米軍関係のナンバーが付いていました。
線路の向こうに、諏訪神社が見えています。
時間に余裕があればお参りする予定だったのですが、ちょっと遅れ気味なのでここから手を合わせるのみにさせていただきます。
またの機会にお参りさせていただきます。
水道みち緑道(起点から2.7km)
斜めに交差する小道「水道みち緑道」に着きました。
現在の地図でも簡単に見つけられる限りなく直線の横浜への水道路です。
多くの区間が遊歩道・自転車道として整備されています。
横浜市水道局の石柱が立っていました。
こちらは道路の反対側相模川方面へと延びる水道道緑道を望んだところです。
こちら側は、相模線をくぐるためのアンダーパスになっています。
いつかはこの道も歩ける範囲で歩いてみたいとは思っています。
高圧電線の鉄塔がそびえ立っています。
かっこいいですね。
道路の反対側、相模川方向を望むと、こちらにも高圧線と鉄塔が密集しています。
東京電力パワーグリッドの北相模変電所です。
現在、起点の上溝交差点から2.9kmです。
この高圧鉄塔を越えると(くぐると?)相模原市中央区から相模原市南区へと入ります。
相模原市南区へ(起点から2.9km)
区境には特に案内標識はなかったですね…。
前方に、県道46号線をまたぐ陸橋が見えてきました。
県道46号線から、見えている「原当麻陸橋」へは直接車両では乗り入れできず、この「原当麻陸橋入口」交差点から回り込むことで渡ることが出来ます。
ここまで歩道橋がなかったので、景色は望めなさそうですが登ってみることにしました。
歩行者の場合は、県道46号線の歩道から階段で直接上がることが出来ます。
起点の上溝交差点から3.2kmの原当麻陸橋へよいしょっと。
まずは上溝方向です。
橋の中央部は壁があって展望が期待できないため、階段最上部からの景色になります。
そのため角度的にあまり遠くは見通せないことになり、道路自体を遠くまで見ることは出来なさそうです。
原当麻陸橋の上を横断することは出来ないため、一旦降りて陸橋の下をくぐり、反対側の歩道への階段を登ります。
よいしょっと。
こちらも同じく階段最上部からの眺めとなりますので角度が悪くて道路は見通せないですね…。
まぁとりあえず登ってみないとわからないですからね。
お昼ごはん、そしてまた歩き出しました(起点から3.2km)
原当麻陸橋のすぐ脇にある「味の彩門」さんでお昼ごはんにしました。
もちろん知っていましたが、やっぱりボリュームたっぷりでした。
美味しいお昼ごはんでおなかいっぱいになったところで再出発です!
県道46号線と国道129号線と県道508号線
今回も、「今昔マップ」さんのお世話になりたいと思います。
本当にいつもありがとうございます。
地図好きとしては、見ているだけで時間が過ぎていってしまうサイトです。
今回は3枚図面を用意しました。
左側に過去の地図、右側に現在の地図を並べて、現在の県道国道をなんとなく色でなぞり、左側の過去地図にコピーしています。
おまけで横浜水道道も水色でなぞっておきました。
まずは明治39年測量の一番古い地形図です。
多少の違いはありますが、現在の県道の元になるような道はだいたい存在しているようです。
国道129号線の「上溝バイパス」「厚相バイパス」と呼ばれる区間は全くなにもないところが多そうです(同じく国道16号線も)。
県道46号線は120年前からほぼ変わらぬルートの道のようですが、番田周辺では、現在も路線バスが通る道の方が集落があり、栄えているように見えます(上の矢印)。
当麻市場周辺では、現在の県道508号のルートではなく、天満宮の前を通るルートのようです(下の矢印)。
また、まだ相模川に昭和橋はかかっていないため、「当麻の渡し」で依知へと渡っていました。
昭和橋は昭和6年(1931年)の完成ということです。
そして、この当時の地図で圧倒的な幹線道路のように見える太くて直線のラインが横浜水道道です。
戦前戦後にこの地域の大縮尺の地図がないこともあって、60年ジャンプしました。
県道507号村富線を除く県道はほぼ現在の姿に近いと思われます。
県道508号線当麻市場周辺は現在のルートになったようです。
国道16号線も開通しています。
国道129号線上溝バイパスは、北側のキャタピラー三菱工場付近まで完成しているようにも見えます(矢印の箇所)。
バイパスは工事中ですので、現在の県道508号線のルートを通る道で、1963年に「国道129号線」として指定されました。
1975年になると、国道129号線のバイパス化工事が進み、この図面ではちょうど厚相バイパス区間(矢印箇所)が建設中の表記となっています。
同じく国道129号線の上溝バイパス区間は1971年に開通しています。
1979年に新昭和橋が竣工し、1980年に厚相バイパス区間が開通したとのことです。
段丘上では県道507号線村富線が完成したように見えます。
詳しく見たい方、細部を見たい方、範囲外を見たい方、興味の湧いた方は上記リンクから是非「今昔マップ」をご覧になってください。
次回予告
起点から3.2kmの地点で昼食をとった我々は相模原市南区を再び南に歩き出しました。
次回は当麻、磯部へと入っていきます。
おなかいっぱいでエネルギーは回復しました!
ちょっと日差しが強くなってきましたが大丈夫です。
次の記事はこちらです!!