企画概要
- 県道52号線と並んで南区の重要な道路・行幸道路を歩いてみよう
- 実は南区区間はあんまり多くないけど気にしない
- せっかくなので起点から終点方向へ向かって歩いてみよう
- とりあえず「行幸道路」の区間は歩いてみよう
- 残りの「県道51号線」はまた考えよう
- あまりにも暑くなるようならサスペンデッドゲームにしよう
といった感じのゆるめの企画です。
おことわり
今回は持ち歩いていたカメラさんのレンズが絶不調で、撮ったはずの写真が半分ほど撮れていない(撮影出来ていた枚数は52号線の時の半分)、撮れていた写真の半分は超絶ピンボケといった感じでした。なんとも悔しい感じではありますが、なんとか使える写真をひねり出して行きたいと思います。
県道51号線とは
県道51号線は、正式名称を「東京都道・神奈川県道51号町田厚木線」と言い、町田市原町田の「原町田3丁目交差点」から相模原市南区(区役所前も通ります)・座間市・海老名市を経て、厚木市東町の「東町郵便局前交差点」へと至る路線(主要地方道)です。
最初の0.7kmほどが町田市内となっています。
現在のキャンプ座間が旧日本陸軍の士官学校だった際に、昭和天皇が横浜線原町田駅(現・町田駅)からこの道路を通って士官学校まで行幸されたことが由来となり、「行幸道路」「行幸通り」などと呼ばれています。
県道51号線のルート(および本日の徒歩ルート予定)はだいたいこんな感じですー。
いざ お散歩へ
まずは起点・原町田3丁目交差点へ
今日は2024年5月18日土曜日です。
今日の同行者と町田駅朝8時半に合流して、まずは起点交差点へ向かいます。
原町田大通りを直進して町田街道へ右折します。
町田駅からおよそ1kmで、51号線起点の原町田3丁目交差点に到着しました。
47号町田街道を示す案内標識はありますが、ここから51号といった標識はなさそうですね。
こちらは町田街道の八王子方向を見たものです。
左に進む道が51号線となります。
ていうか9時前だってのにもう十分暑いです。
原町田
この区間は、近年に町田駅前通りから町田街道までの区間が整備延伸されたことにともなって指定された区間となっていて、まだまだ新しい道の雰囲気があります。
左に見えてきたのが「勝楽寺」さんとなります。
原町田は街道の宿場町として古くから栄えていたため、大きな神社仏閣がありますね。
勝楽寺さんです。
旧町田街道を越えて、
町田駅前通りとの交差点「市立中央図書館前」に到着しました。
右方向が町田駅方面、左に行くと三塚交差点で町田街道に合流して国道246号線方面へと向かいます。
大きなPマークは「まちだターミナルパーキング」です。
市街地にありながら500台以上を収容できる大きな立体駐車場で使い勝手が良いのですが、入口がわかりにくいと思いますので初めての方はご注意あれ。
(駐車場はこの交差点から見て右にあるのですが、入口はこの交差点の左にあります)
原町田橋で横浜線を越えます
先程の交差点を少し三塚方面に歩いてみたところにある案内標識です。
左折及び右折が51号線のはずなんですが、特に表記はありませんね…。
ただまだ右が整備前の細い線になっているので、次回更新時にはきっと〈51〉の表記が着くことを期待したいと思います。
交差点に戻ってきました。
遠くに大山さんが見えております。
原町田橋で横浜線を越えていきます。
この写真は成瀬・新横浜方面を向いて撮っています。
まず左に見えているのが、前述のまちだターミナルパーキングの入口です。
こんな感じでこちらの原町田橋をくぐって駐車場へ入っていく作りとなっています。
正面の跨線橋は自動車は渡れない歩道橋となっていますが、昔はここに踏切がありました。
踏切は現在立っている原町田橋の開通によって廃止されましたが、不便になる歩行者の便のために歩道橋がかけられました。
歩道橋を渡った先にあるのが歴史ある大きな神社の町田天満宮さんです。
町田天満宮さんのWEBサイトによると、16世紀の安土桃山時代にはあったのではないか、と記載されています。
こちらは逆方向、古淵・橋本方面を眺めたところです。
右に見えているのは前述のまちだターミナルパーキングです。
左に見えているのは大きな寺院である曹洞宗宗保院さんです。
こちらは振り返って見た案内標識。
おお、ちゃんと〈51〉が町田街道まで伸びています。
こちらは原町田橋の上で、同行者が「これって51号ってことじゃないの?」と見つけてくれた街路灯の管理番号。
こちらも原町田橋で同行者が見つけてくれた植え込みの管理番号?です。
横浜線を越えて 境橋へ
こちらの交差点を51号は右折していきます。
右方向が境橋を越えて相模原市南区方面へと続いていきます。
原町田橋がなかったころは右から来てここは当然直進で、天満宮さまのところの踏切を渡るルートだったと思います。
車道歩道ともにあまり広くはない区間となっています。
境橋交差点に到着しました。
ここを斜め左に向かうことで、境橋で境川を渡り、相模原市南区へと入っていきます。
が、
我々は、行幸道路が行幸道路である所以を求めて、この交差点を右折する――
右に向かうと、街路樹の中に、道路が線路方向へ伸びている――
そして、町田市営駐車場の案内がある――
そう、この町田市営駐車場の位置こそ、天皇陛下行幸の折、ホームが作られた場所なのである――
ということで、これらの情報は下記リンクの「レファレンス協同データベース」によるものです。
こちらの御召しホームから、境橋を渡って、相武台(陸軍士官学校)へ向かったのだそうです。
現在の、市営駐車場入口です。
ここにホームがあったのなら、境橋へと最短距離で行くことが出来たでしょう。
同地点から振り返って見たところです。
奥に見える信号が、境橋交差点となります。
昔、かなり昔だけど原町田駅はもうなかった頃、このあたりに「はらまちだ」の駅名標がぽつんと立っていた気がします。
あれ、なんでこんなとこにあったんだろうな…。
境橋交差点へ戻ってきました。
川の向こうには「相模原市」の標識があります。
それでは境橋を渡って、相模原市南区へと戻りましょう。
原町田地区の51号線付近の移り変わり
今回も、「今昔マップ」さんのお世話になりたいと思います。
本当にいつもありがとうございます。
地図好きとしては、見ているだけで時間が過ぎていってしまうサイトです。
左が約50年前、右が現在です。
細かい点は多数ありますが、一番大きく違う点として、国鉄(JR)の原町田駅(町田駅)の位置と名称でしょうかね。
そして先ほど原町田橋のところでも書いた通り、道路の開通による経路変更などがあります。
こちらの図は、左1975年の図における主要道路と駅の位置を、右側にコピーしてみたものです。
原町田橋のところで書いた通り、相模原方面から来た道路は、天満宮様のところで踏切によって横浜線を越えています。
そして原町田駅は現在の町田駅よりかなり南東寄りにあったことがわかります。
ここで先程のレファレンス協同データベースの中にあった
- 戦前の行幸に使用された旧お召しホームの解放と自由道路の設置。旧お召しホームに広場機能をもたせ、ターミナルプラザと跨線橋で結び、原町田一丁目および相模原市側と四丁目の交流を確保した。(その後、話し合いにより、広場機能ではなく、二五〇台収容の市営立体駐車場に変更。)
- 駅舎の八王子側にはお召しホームがあった
- 原町田駅(現、JR町田駅)の南側に天皇専用ホームの御召ホームがつくられた。天皇陛下が陸軍士官学校の卒業式に出席するための行幸の際に使用した。今では市営原町田駐車場になっている。
- 天皇行幸のため原町田駅に御召しホームが特設され、南側駅前広場(現町田市営立体駐車場)から・・・”行幸道路”と呼ばれた。
などの記述から、御召しホームは、当時の原町田駅の位置でもなく、現在の町田駅の位置でもない、その中間ぐらいに位置していたのではないでしょうか。
こちらの図は、右側・現在の主要道路と駅の位置を、左側・1975年の地図にコピーしてみたものです。
原町田橋だけでなく、原町田大通りや町田駅前通りが50年前にはなかったことがわかります。
そして、まちだターミナルパーキング(町田ターミナルプラザ)は、原町田駅および周辺駅施設の跡地に立ったことがわかります。
街ナカに細長いけど大きな土地があったからこそのバスターミナルと駐車場なんですね。
おかげで駐車場入口はちょっとアクロバティックになっていますが。
今回使用させていただいた今昔マップさんのアドレスはこのへんになります。
原町田周辺の明治39年(1906年)からの移り変わりを見ることが出来ますのでご興味のある方は是非どうぞ。
120年前からしっかりどっしり存在し続けている神社仏閣の記号や、原町田中央通り交差点(まちだの泉セーフティーボックスサルビアのところ)の町田街道と鶴川街道の追分の形の変わらなさなど、地図のお好きな方にとっては見どころたくさんではないかと思います。
次回予告
実はまだ1kmも歩いていなかったりするのですが、市境となりましたのでここで一旦切ります。
次回は相模原市南区を歩きます。
まずは坂を登るところからスタートですよ!
暑いのに…。
次の記事はこちらです!!