前回の続きです
こちらの記事は後編となりますので前編もご覧になっていただけたら嬉しいです。
当麻山無量光寺について自分なりにまとめた概要と、公共交通機関やクルマなどでのアクセスについて書いてあります。
行ってきました
駐車場にクルマをとめまして、山門からスタートすることにします。
こちらの無量光寺山門は、相模原市指定文化財となっています。
ちなみに番号としては第1号になります。
こちらの解説によりますと、建築は17世紀初頭と推定されていて、神奈川県内に類例の少ない形式の門だということです。また、県内においてこの形式の門の中で最大にして最古のもので、大変貴重な門ということでした。
この形式とは、親柱の後ろに袖を付けて柱を建て、それによって両側それぞれ二脚となり(二脚門)、さらにその二脚に屋根がかかっている高麗門と呼ばれる形式です。
扁額です。
「当麻山」という号が書かれています。
それでは一礼して門をくぐり、早速進んでみたいと思います。
山門をくぐった先の参道になります。
明治の火災で失われるまで本堂のあった位置がこの一番奥になるそうです。
そして現在その位置には一遍上人像があります。
この参道の左右にも見どころが多いのでゆっくり進んでいきたいと思います。
左手にある、北里大学医学部さんの納骨堂です。
医学のためにご献体いただいた方の慰霊と感謝のために建てられたそうです。
右を向くと、十三重石塔がありました。
なかなかの大きさでした。
左側には沢山の石碑石塔が建っています。
その中でもこちらの石塔は「無量光寺の徳本念仏塔」として、相模原市の登録有形文化財となっています。
こちらの解説文によりますと、この徳本念仏塔には、側面に文化十四年(1817年)の銘があるそうです。(苔を踏んではいけないと思いましたので近くには行っていません)
境内には一遍上人の歌碑が多くありました。
他にも芭蕉の句碑をはじめ、たくさんの歌碑句碑がありました。
戦没者供養塔です。
こちらにも池がありました。
鯉が泳いでいました。
参道右手には手水舎があります。
そして正面を向き直すと
一遍上人がいらっしゃいました。
こちらも手を合わせさせて頂きました。
ここから右へ進むと
鐘楼がありました。
左隣は経堂と書いてあります。
立派な鐘がありました。
昭和三十三年、という文字も見えます。
そして(仮)本堂が見えてきました。
仮本堂ということですが、長い年月を経て、歴史の重みとともに貫禄のある堂々とした建物と感じられます。
「仮」という文字はちょっと忘れておいてもよいかもしれません。一般的にイメージする「仮○○」とは全く違いますね。
11月下旬の朝早めの時間にお邪魔しているのですが、段々と日が昇るにつれて暖かくなってきました。
そしてお天気が素晴らしい感じの快晴になってきました。
合成のような、ブルーバックのような、切り抜きがすっとできそうな、そんな感じの写真が撮れました。
本堂にお参りします。
扁額の写真を撮りたかったのですがどうしても本堂の中が写ってしまうのでやめておきました。
本堂に向かって左手に
このような掲示がありました。
(この掲示がかなり傾いていたのでまっすぐになるようカメラを傾けた結果、背景全体がかなり傾いています)
右手に見えている本堂の中に入るには数段の階段を登る必要がありますが、こちらのスロープを使うことで回避できるようです。
こちらのスロープ経由で本堂に上がれるようです。
本堂の奥には一遍上人が木像を作るために自らの姿を映したとされる「御影の池」があるのですが、今日はなにやら作業中のようでしたのでそちらへ行くのはやめておきました。
本堂をあとにして、改めて山門周辺を見学することにします。
駐車場寄りの道を歩いていくと、左手にふたつのお堂があります。
向かって左手のこちらのお堂は、熊野権現堂です。
建治2年(1276年)、智真(後の一遍上人)は、熊野本宮大社證誠殿にて百日参籠を続けたところ、熊野権現(阿弥陀如来)が現れ、お告げを受けた智真はその後一遍と名乗るようになった、とされています。
一遍上人とゆかりの深い熊野権現様ですから納得ですね。
向かって右手のこちらは、東権現です。
明治以前に養蚕の守り神として各夜姫が近くの東澤寺にまつられてありましたが、廃寺となってしまったので当地に移転しておまつりしているとのことです。
山門まで戻ってきましたので周囲を見学することにします。
ちなみに右奥に見えている建物がお手洗い(手水舎ではなくトイレ)になります。
「史跡 当麻山無量光寺」という説明文の石碑です。
題字は相模原市長 河津 勝 との署名。
文末には「昭和四十四年 相模原市観光協会」との銘があります。
河津勝さんは1965年から1977年までの3期12年にわたって相模原市長を務められた方です。
無量光寺の境内は相模原市指定史跡となっています。
無量光寺に関する指定文化財・指定史跡についてまとめられた案内です。
平成13年4月1日 相模原市教育委員会
との記載があります。
「かながわの景勝50選」に選ばれていることを示す碑です。
「かながわの景勝50選」は1979年に制定されたもので、神奈川県を代表する景勝地が50箇所選ばれています。その中のひとつに当麻山無量光寺が選ばれています。
山門に向かって右手前にある「なぎの木」と題された説明文の石碑です。
こちらも題字は当時の河津市長となっています。
この木は「さかさナギの木」とも呼ばれ、一遍上人がなぎ(梛)の杖を地面に刺したところ、そこから大きく育ったものともいわれています。
最初にクルマで登ってきた道を歩いて降りていきます。
右の木立の向こうの方には高速道路のインターチェンジに近い県道52号が走っていて、坂道を登っていくたくさんのクルマの音が聞こえてきます。
外門の手前(内側)に立っていた「時宗大本山無量光寺」の碑です。
明治の時代になって、時宗の総本山は藤沢の清浄光寺(通称遊行寺)と定められ、無量光寺はそれに次ぐ大本山と定められ、第二次大戦終戦まで続きました。
外門までやってきました。
「時宗當麻山無量光寺」との碑が立っています。
そのとなりの超一等地には
少々くたびれてはいますが簡潔にまとめられた案内板がありました。
相模原市と相模原市観光協会の連名で書かれておりますので、山門左にあった案内石碑と同時期、昭和40年代に立てられたものではないでしょうか。
長年の風雨にさらされながらもがんばって立っていらっしゃる案内看板さん、お疲れ様です。
このあとは降りてきた坂道を登って駐車場に戻り、クルマにて帰路につきました。
まとめ
相模原市南区当麻にある「当麻山無量光寺」について書いてみましたがいかがでしょうか。
「一遍上人から始まる時宗の歴史を 750年を超えて今に伝える寺院」ということが伝わったら幸いです。
気になることがみつかった方は是非当ブログ内の各ジャンルの記事にも飛んで読んでいただけたら嬉しいです。
相模原市南区に興味を持っていただき、また、この記事を読んでいただいてありがとうございました。