当麻東原古墳・当麻東原公園とは
神奈川県相模原市南区当麻の県道52号線沿い、圏央道の相模原愛川インターチェンジに近いところにある遺跡と、その遺跡のある公園です。
当麻東原古墳
当麻東原古墳について、公園内に案内石碑がありましたので、書き写させていただきました。
当麻東原古墳
相模原市長 舘盛静光書相模原市指定史跡名勝天然記念物
平成元年二月三日指定当麻東原古墳は、相模川左岸に築かれた河原石を積み上げた横穴式石室を持つ円墳です。墳丘の規模は直径十六メートル・高さ約三メートルで、墳丘の周囲には幅二メートルの溝が巡っています。埋葬施設である石室の中からは装身具や武器具などの副葬品が四百点余り発見されています。
本古墳は、当麻谷原古墳群と並び古墳時代後期の七世紀代に造られたもので、相模川低地に生産活動の場をもった集団の長の墓と考えられます。また昔から「馬塚」や「名馬塚」という名で伝承され、長く保存されていました。
高塚古墳が少ない相模原市にあって、良好な状態で残っており、かつ当地の古墳時代の姿を伝えるものとして貴重であるため相模原市指定史跡名勝天然記念物に指定されました。平成二年三月
相模原市教育委員会
さすが大変わかりやすくまとまっている文章でしたので全文そのまま引用させていただきました。ありがとうございました。
古墳時代後期の7世紀ということですので、1300~1400年ぐらい昔のものということになりますでしょうか。
また、「装身具や武器具などの副葬品が四百点余り発見」ということですが、現在は中央区にある相模原市立博物館にて保管されているとのことです。
それらの出土品の一部は展示もされています。
写真は文化庁の「文化遺産オンライン」のページで見ることが出来ます。
勝坂遺跡や田名向原遺跡など、旧石器・縄文の遺跡は大きいものがある相模原においても、古墳時代の遺跡は少なく、当麻東原古墳は大変貴重なものとなっています。
そしてその古墳が大事なものとして伝承されて、今まで残されてきたというのも素晴らしいですよね。
現在当麻東原古墳は相模原市指定の史跡となっています。
また、出土品は相模原市指定の有形文化財となっています。
Wikipediaへのリンクも貼っておきますね。
アクセス
公共交通機関
駅から徒歩
JR相模線の原当麻駅が最寄りになります。
googleマップさんによるとこんな感じです。450m6分と表示されています。
原当麻駅の西口からスタートです。
県道46号線方面へこのカーブを曲がっていただくと
「原当麻駅入口」の交差点があります。
右手に見える赤い屋根は観心寺さんです。
まっすぐ進みます
突き当りに見えている木立が当麻東原公園です。
とうちゃ~く!
まさかの駅から一本みちでした。
路線バス
最寄りのバス停も「原当麻駅」バス停となります。
「原当麻駅」バス停は駅の東口となり、西口とは反対側になりますが、駅の中を抜けて西口に出てくれば、あとは「駅から徒歩」と全く同じです。
ご乗車のバスが下溝方面から来る原当麻行きのバスで、駅に着く前に「原当麻駅入口」に停車する場合は、そちらで降りた方が、バスがグルっと回って駅に行くよりも早くなる可能性もあります。
クルマ
当麻東原公園には車を止められるようなスペースは無さそうでした。
googleマップで下見していたときに隣に駐車場のようなスペースが見えたのですが、駐車場は駐車場でも月極駐車場さんでした。
原当麻駅周辺にコインパーキングがありますので、おクルマの場合はそれらのコインパーキングのご利用となると思います。
ルートとしましては、県道52号線と県道46号線の交点である「麻溝小学校入口交差点」と、圏央道と県道52号と県道508号の交わる「下当麻交差点」に近いのでルートとしましてはわかりやすいところではないかと思います。
その2つの交差点の間にその名も「当麻東原公園入口」という信号の交差点がありますので、その交差点を北に入ればすぐ到着です。
参考までに周辺地図は以下のとおりです。
行ってきました
2024年2月下旬にお邪魔してきました。
入って右の方は広場となっています。
古墳はあとにとっておいて、左手の方の公園エリアに向かってみます。
建物はトイレです。
奥に遊具が集まっています。
遊具です。
すべり台とブランコが見えます。
ブランコは2連のものでした。
公園の端は県道52号から一段高いところになるため、公園からちょっと出たところからの見晴らしがとてもよかったです。
当日の大山さんです。
改めて公園内に入り直します。
大きな木のあるあたりに
立派な大きな石碑がありました。
相模原市当麻東原特定土地区画整理事業
完成記念碑
相模原市長 舘盛静光書
といった文字があります。
裏面にはまた文字がたくさんありまして…
碑文のうち文章の部分を書き出させていただきます。
碑文
この地は東原古墳に表徴されているように、先住民の足跡は古く肥沃な大地であり、近時は養蚕業の他、特産の牛蒡、大和いもなどが作られていた。昭和四十年以降、日本経済の高度成長の中で都市化が進み、乱開発を憂うる関係地権者が、相寄り、相はかり、理想的な住環境の整備と秩序ある地域の発展を願い、昭和五十五年三月区画整理準備委員会を発起し、相模原市を始め、関係機関の指導協力を得て、土地区画整理組合を設立し十有余年の歳月と幾多の困難を克服し、組合員の熱意と努力に寄って完成を見たものである。眼下に相模川の清流を容し、絶佳な眺望と太古の歴史をいただくこの地の、限りない発展と、繁栄を切望し この碑を建立したものである。
(あらまし、人名など略)
平成三年十月吉日
相模原市当麻東原特定土地区画整理組合
ということで、この地域が大きく近代的な町並みに変わったとも言える区画整理事業のなかで、近隣の遺跡を含めこちらの東原古墳などの発掘調査も行われたわけです。
では、その当麻東原古墳へ向かいましょう。
位置関係としては、右側が最初に見た広場、左にある木々の中に先程の立派な石碑があります。
正面に見えている植え込みの中に、当麻東原古墳が保存されています。
当麻東原古墳の説明の石碑については、当記事の上の方で紹介しています。
右の方の垣根が切れているところからも登れそうでしたが、おそらくこちらが正門?だと思いますのでこちらから入らせていただきます。
古墳のてっぺんです。
もちろん規模から何から全然違いますが、宮崎県の西都原古墳群に行ったことを思い出しました。
西都原古墳群も古墳に登れたり、古墳に入れたりという整備がなされています。
考古博物館も充実していますし、西都原古墳群遺跡とかお好きな方は絶対楽しめると思うのでおすすめです。
古墳のてっぺんから見た相模川方面です。
冬のこの時期でこの景色だと、夏場は何も見えないかもしれませんね…
かといって眺望のために木を切るのもなぁ、そもそもこれは古墳であって展望台ではないし…などと、古墳のてっぺんで考えていました。
登ってきた方向を振り返って見たところです。
これぐらいの丘に登るのってなんでこんなに楽しいんだろうなぁという気持ちと、でもこれって昔の偉い人のお墓だからあんまりはしゃいでもなぁ、という気持ちがまじりつつ、古墳のてっぺんを楽しんでしまいました。
さて、あまりにもてっぺんで楽しんでいても「The Fool on the Hill」になってしまいますので、ぼちぼち撤収いたしましょう。
さきほどの大きな石碑の写真の左下に小さく別の石碑が写っていたのですが、そちらへ行ってみます。
「完成記念樹」と書いてあります(枝の影で読みにくいのですが)
側面には
「植栽樹種 日本八重桜 山桜」と書いてありました。
この公園の外周からこのままおりる遊歩道的な坂がありそうなので行ってみようと思います。
けっこう急坂でした。
雨降ってたら絶対嫌です。
あと、夏場はどうなるのか想像がつかないですね。
降りたところから振り返ってみました。
この左手には
叢に隠れていても仕方ないような状況なのに、綺麗に見えるように刈払された石碑があり、「あずま坂」との表記がありました。
県道52号線の
ここに出てきました。
googleマップで、原当麻駅から無量光寺への徒歩ルートを検索したときに、この「あずま坂」を経由するルートを案内してくる可能性がありますが、間違いなく最短距離ですが、こんな感じの道でしたので、ご参考まで。
古墳のてっぺんでは自分の予想以上に楽しんでしまいました。
お邪魔いたしました。
ありがとうございました。
まとめ
相模原市南区当麻にある「当麻東原古墳・当麻東原公園」について書いてみましたがいかがでしょうか。
「7世紀の古墳時代から伝承されて今まで大事にされてきた貴重な古墳と、その古墳を保存する整備された公園」ということが伝わったら幸いです。
気になることがみつかった方は是非当ブログ内の各ジャンルの記事にも飛んで読んでいただけたら嬉しいです。
相模原市南区に興味を持っていただき、また、この記事を読んでいただいてありがとうございました。