
相模女子大学 茜館 とは
相模原市南区文京2丁目の相模女子大学の一角にある建物です。
相模女子大学は1946年に、東京都小石川区(現在の文京区)から現在地へ移転してきました。
現在地はそれ以前は1939年に移転してきた陸軍通信学校があり、1945年の終戦とともに廃校となりました。その跡地に移転してきたことになります。
陸軍通信学校時代の地形図などが存在しない(25000分の1地形図は1929年の次が1954年測量のため)のが残念ではありますが、相模女子大学さんのWEBサイトの中に「陸軍通信学校時代の構内図」として、資料などを丁寧にまとめたレポートのPDFがありましたので、ご興味のある方は是非ご覧になってください。
陸軍通信学校の施設の中で、建物として最後まで残っていたのがこちらの茜館です。
こちらは陸軍通信学校当時は「将校集会所」として使われていたと言われています。
相模原市公式WEBサイトの文化財紹介のページから引用させていただきます。
旧陸軍通信学校は、陸軍士官学校の広大な練兵場に近接する当時の大野村に、昭和13(1938)年から翌年にかけて東京市杉並区馬橋から移転してきました。
通信学校内に建てられた将校集会所は現在、相模女子大学の施設として使われていますが、室内の一部は当時の状態を残して使用されており、また、外壁の改装などがされていますが、全体として当時の外観をよく伝えています。
室内は原則として見学できません。
とのことです。
そんな「旧陸軍通信学校将校集会所 - 相模女子大学茜館」がこのたび解体されることとなりました。
www.sagami-wu.ac.jpこちらの相模女子大学公式WEBサイトにおいて、経緯などが紹介されています。
簡潔にまとめられているのでそのまま引用させていただきます。
解体の経緯
本学では、茜館の文化的価値を尊重し保存に努めてまいりましたが、建設時の図面がなく耐震診断も出来ない状態で、安全上及び居住環境上に大きな懸念があることから、関係機関との協議の上、解体を決定いたしました。
なお、相模原市文化財保護課には、相模原市文化財の保存及び活用に関する条例に基づく「現状変更等届出書」を提出しており、2025年3月31日に受理されています。
茜館の記憶を未来につなぐ取り組みについて茜館は、戦前・戦後を通じて多くの歴史を刻んできた貴重な建築物であることから、本学ではその価値を未来に伝える取り組みを進めています。
具体的には、茜館の四季をテーマにした動画の制作や、解体後の茜館の一部部材について学内で保管・展示するほか、相模原市立博物館への寄贈を予定しています。
ということです。
今回はその解体に先立ち、一般公開していただけるということでしたので、参加してきました。
行ってきました(2025年7月12日)
10時から開始でしたが、「朝イチは絶対混むだろー」という予想のもと、11時過ぎに到着しました。
駅から相模女子大学へ向かう間には、資料を持ったおそらく見学されてきたであろう方々とたくさんすれ違いました。

守衛さんに挨拶して、構内に入りました。
入ってすぐ右手にあるのが「茜館」となります。

家族連れのお子様・制服姿の学生さんから、かなりのご年輩の方まで、まさに老若男女、幅広い方々が訪れていました。

こちらの建物が「茜館」となります。
手前に文化財案内板があります。

相模原市登録有形文化財
旧陸軍通信学校将校集会所(相模女子大学第1本部棟)相模原市登録名勝
旧陸軍通信学校将校集会所庭園(相模女子大学フランス庭園)旧陸軍通信学校が当時の大野村に移転してきたのは昭和13年から14年にかけてです。
将校集会所の外壁は改装されていますが、外観は全体として当時の姿を良く残しています。
庭園は集会所に付設された庭園で、現存する洋風庭園として貴重であり、当時の優れた施工技術を知ることができます。
注 室内は原則として見学できません登録年月日 平成15年4月1日
相模原市教育委員会
と書いてありました。

それでは館内へおじゃまさせていただくことにします。
入口で資料もいただけました。
ありがとうございます。

こちらこそどうもありがとうございます。



雰囲気のある窓が並んでいます。

洋館のようでもあり、縁側や軒下のようでもある、和洋折衷な廊下です。

棟内案内図です。
おじゃまいたしております。

みなさんがなにを見上げているかというと

天井裏です。
戦前の碍子などが残っているそうです。
ハクビシンさんって結構身近に居ますよね…。

「将校の部屋」です。

天井の格子もかっこいいですね。

あーこの空間は雰囲気ありますね。

すみませんちょっと遊んじゃいました

80年以上頑張ってきたらそりゃ腰も曲がるというものですよね。
おつかれさまです。

先ほどの廊下を逆側から。

廊下の途中から出られるようになっているので、「フランス式庭園」の方へ行ってみたいと思います。

モリゾーたちの中を抜けていきます。

中央に池があります。

振り返って茜館を見てみます。

雨がふらなかったのがもちろん素晴らしいのですが、この時期ですから晴れすぎても大変なことになるなぁと思っていましたので、ちょうどいいお天気だったと思います。

よく「緑あふれる」などと書かれますが、まさにあふれんばかりの緑です。

池越しに茜館を眺めてみます。
国鉄の駅のような雰囲気もあります。

今日一番のお気に入りはこの写真です。
手前に戦前昭和生まれの茜館。
右端には、ロビーファイブの屋根が写っています。
ロビーファイブは、平成2年(1990年)開業で、元はここと同じく軍の施設でした。旧陸軍相模原病院があったところが戦後接収され米軍相模原医療センターとなり、1981年に返還、その後、ロビーシティやグリーンホール、相模大野中央公園、外務省研修所や相模原中等教育学校などとなっています。
そしてその奥にそびえ立つのが令和7年(2025年)内に竣工予定のタワーマンション、「プラウドタワー相模大野クロス」です。こちらはロビーシティと同じく米軍医療センター跡地に立てられた「伊勢丹相模原店」の跡地に建設中となっています。
平成期の相模大野を象徴するロビーシティと令和期のシンボルになりそうなタワーマンションが、戦前から昭和平成令和と長生きしてきた茜館のラストを見届けてくれているようです。

ぐるっとまわってきたら一瞬誰も居なくなったので最後に撮影。

それではこのへんで失礼させていただきます。
本日は大変有難うございました。
おじゃまいたしました。
関連リンク
まとめ
www.sagami-wu.ac.jpこちらこそ、貴重な機会をご提供いただきありがとうございました。
城下町であればその城址、門前町であればその神社仏閣といったように、街の歴史を長年見守ってきた存在というものがありますが、相模大野においては、「軍都」として発展し始めたという背景もあり、この茜館のような施設がそういった存在だったのかもしれません。(もちろん18世紀から存在する山野稲荷などはありますが)
ただ、軍関係の施設という性質上もあり、なかなか保存できるものではなく、幸運にもこちらの茜館のように長きに渡り保存活用されることが出来た施設であっても、戦後80年を迎え、老朽化には抗えません。(そして軍関係の施設の場合、今回のように「図面もないため補修するにもいかんともしがたい」ということにもなります)
今回の公開においては、もちろん施設の見学も非常に興味深く見させていただいたのですが、周囲から聞こえてくる話の内容がこれまた貴重なものばかりで気になって仕方ありませんでした。
「懐かしいなぁ」という相模女子大学OGの方々、「ここで働いていたのよ」という元職員の方々、そして「父が通信学校で…」と聞こえたのでびっくりして声の方を見たらかなりのご年配の男性。
80年をこえる歴史の中で本当にたくさんの方々を見守ってきた建物と言えるでしょう。
おつかれさまでした。
相模原市南区に興味を持っていただき、また、この記事を読んでいただいてありがとうございました。