さがみなみ

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磯部八幡宮(相模原市南区磯部)

磯部八幡宮(相模原市南区)

 

 

磯部八幡宮とは

神奈川県相模原市南区磯部の相模線の踏切近くに鎮座している神社です。

磯部八幡宮(相模原市南区)

境内の「八幡宮由来碑」によると、

磯部八幡宮(相模原市南区)

八幡宮由来碑

鎮座地 相模原市磯部一三八八番地
御祭神 応神天皇
末 社 境内社 三社神 金刀比羅神社
        山神宮 疱瘡神社 稲荷神社
    境外社 厳島神社  社外地 不動堂
境内地面積 一八一〇㎡(五四七坪)
御神徳 国土安穏 家内安全
祭 事 歳旦祭 例大祭
    七五三祝 外

 由緒沿革八幡社はもともと源氏の氏神でありますがこの社は古く創立年月日は不詳であります 延文元年(一三五六年)以前より磯部村の鎮守として信仰厚く御神像として仏弥陀を奉斉しております

 この社を開いたのは鎌倉から来訪した山伏祐圓(延文二年九月二十二日没)で別当は小田原玉瀧坊觸下の佛像院磯幡山神宮寺でありました 又文明十年三月(一四七八年)太田道灌勢により陥落するまで磯部地内には城(城主長尾景春)がありました。記録によると文禄三年(一五九四年)当時には八幡宮は幕府から社領十石を与へられておりました。享保十八年(一七三三年)七月十五日別当磯幡山神宮寺廿世仏像院快省法印再建し毎年八月十五日に角行を興行にしておりました。当時の地頭は大津新右衛門で上下村勝坂氏子中と棟札に記されております 江戸初期び不動尊と寺社奉行宛古文書等、推定樹齢五百年の銀杏が現存しております 当社では山伏の修験が行われ江戸時代には沢山の家業繁昌厄除の護摩が焚かれ又この地域は大山詣りの宿場のため境内は非常に賑ったと伝へられます 当時は対岸の依知、山際等からも参拝があり特に火渡りの護摩が有名でありました

 明治三年神仏混淆の◆令により別当職が解かれ八幡大神と称しました 明治六年
太政官布告により官有地第一種に編入され同年十二月磯部村村社に指定されました 明治二十六年の神社明細書には氏子数(上磯部、下磯部勝坂)で二二九戸と記してあります 明治四十年境外地(山林)は神社風致林として宮内省御料局より拂下げを受けました 大正十二年三月老朽に伴い氏子の奉賛により社殿を新改築いたしました 昭和十年九月二十七日新磯村の総鎮守として指定村社に列せられ法律の施行により昭和二十八年七月宗教法人となりました 昭和五十七年十月東京電力株式会社の送電線神社用地上空通過に伴う神社補償料にて御社殿 末社 鳥居 石段 手水舎等の改築整備を建設委員会を設置して行い昭和六十年四月竣工いたしました

 先人の築いた長い由緒をもつ地域の氏神様として郷土の繁栄と健康で遠永に平和で豊かな生活ができますよう厚い御加護があるものと祈願いたします

 昭和六十年四月吉日

(◆…「林」の下に「止」 「禁」の誤字or俗字か、もしくは「禁止」の意味か?)
(基本的には原文のままですが改行位置などは調整させて頂きました)

となっていました。

同じ磯部の「御嶽神社」や「山王日枝神社」と同じく「延文元年以前より」ということです。最も古い記録があるのが延文元年ということは当然それ以上の歴史があると考えられますので、700年以上の歴史をもっている、かなり長い歴史を持つ神社だと思います。

地域の鎮守・総鎮守・村社として大きな役割を果たしつつ今に至るそんな歴史あふれる磯部八幡宮です。

 

神奈川県神社庁によるWEBサイトはこちらになります。

  

 

 

 

アクセス

公共交通機関

路線バス

最寄りのバス停は県道46号線上の「上磯部入口」となります。

JR原当麻駅から下溝・座間などを経由して小田急相武台前駅を結ぶ神奈中バスの路線「台14」系統が停車します。

原当麻駅方面へ向かうバス停からは100mぐらい、徒歩2分弱で着けると思います。

相武台前駅方面へ向かうバス停からも150mぐらいなので、徒歩2分ちょいで着けると思います。

県道を渡る横断歩道の信号や相模線の踏切のタイミングによってはもう少しかかるかもしれません。

県道から踏切を経て八幡宮に至る「八幡坂」は交通量も多い上に八幡宮の木々による木陰で薄暗いときもありますので十分注意してください。

バスの時刻表はこちらです。ご利用前には神奈川中央交通公式サイトでかならずご確認ください。

また、小田急相武台前駅から座間、相武台下駅などを経由する「台06」系統の終点である「磯部」バス停からでも550mですので10分かからずに着けるのではと思います。

 

下磯部地区の略図を作ってみました。

詰め込みすぎてちょっとごちゃごちゃしてしまいましたがだいたいこんな感じです。

相模原市南区下磯部地区略図

もし下磯部地区のお寺や神社を徒歩で巡るのであれば、

だとgooglemapさんは調べてくれました。

 

駅から徒歩

駅から歩こうとする場合の最寄り駅はJR相模線の下溝駅となります。

駅から1.1kmほど、下り坂中心で、徒歩15分ぐらいでは着けると思います。

三段の滝を見ながら来ることもできると思います。

 

 

クルマ

磯部八幡宮には「駐車場」と書かれたスペースが境内にありました。

磯部八幡宮(相模原市南区)

ただし「関係者以外駐車禁止」とも書いてありましたので、できれば公共交通機関の利用が望ましいのではないかと思います。

参考までに周辺地図は以下のとおりです。

周辺は道路も狭いところが多いので、徒歩でもクルマでも十分注意してください。

 

 

 

行ってきました

今回自分は能徳寺にお参りしてきたあとなので、

「磯部」バス停付近から歩いてきたことになります。

しばらくのんびり歩くと、わかりやすい社叢が見えてきました。

磯部八幡宮(相模原市南区)

見えている朱塗りの歩道橋を渡っていくことになります。

磯部八幡宮(相模原市南区)

堂々たる「村社 八幡宮」の文字があります。

そして足もとには

磯部八幡宮(相模原市南区)

ささやかながら太鼓橋がありました。

参道ならではですね。

磯部八幡宮(相模原市南区)

ではこちらの「八幡宮参道橋」を渡っていきます。

磯部八幡宮(相模原市南区)

登ったところで振り返ってみます。

 

磯部八幡宮(相模原市南区)

道路をこの橋で渡りまして、

 

磯部八幡宮(相模原市南区)

降りていきますと境内に到着です。

まぁ降りた分以上にまた登るわけですが。

磯部八幡宮(相模原市南区)

こちら側には平仮名で橋の名前が書いてありました。

 

磯部八幡宮(相模原市南区)

橋を降りて左の方に歩くと、自治会館と「駐車場」がありました。

そこから見た石段方面です。

左側は手前から手水舎、最初にご紹介した由来の石碑、本殿などへの石段、(社外地という扱いの)不動堂、となっています。

右側の建物は社務所です。その奥にちらっと見えている朱塗りの柱が渡ってきた歩道橋です。

社務所の前の大イチョウは樹齢500年を超えると言われています。

 

磯部八幡宮(相模原市南区)

手水舎と由来の石碑です。

 

まず奥にある「不動堂」をお参りさせていただきます。

磯部八幡宮(相模原市南区)

左手前に立て札がありました。

磯部八幡宮(相模原市南区)

この不動明王の本尊台座は剣を除き江戸時代初期
(推定四百年前)に制作されたと思われます。
像高五七.五糎 檜材寄木造り漆箔です。
玉眼嵌入・光背朱塗り火焔光・受座六角形です。
前方牡丹唐草文透し彫りで上框座は二重上段彩色
桐鳳凰文透し彫り、下段は彩色獅子牡丹文透し
彫りです
四隅に四天王像を丸彫にて表しております。
真言宗系で江戸時代には護摩を焚きました。

と書いてあります。

また、右を向くと市指定重要文化財としての説明文が立派な石碑にありました。

磯部八幡宮(相模原市南区)

木造不動明王坐像
 相模原市長 舘盛静光書

相模原市指定重要文化財
昭和六十二年一月六日指定
 数量 一軀
 法量 像高 五七.五cm
 台座高 六九cm

 本像は 檜材の寄木造りで漆箔を施し、玉眼をいれて
います 手には願主の名を刻んだ鉄剣と後補の剣索を
持ち、光背は朱塗りの火焔光背です。台座は、岩座・受
座・上框座・下框座の四座からなり、それぞれには細部に
わたって技巧的・装飾的な彫刻が施されています。
 本像は、昔から八幡宮の別当仏像院の護摩堂に安置
されていたと伝えられ、明治時代の神仏分離、仏像院の廃寺
という状況に際しても失われることなく、現在に至って
いるものです。
 本像には、製作者・製作年代が知れる銘文等は
ありませんが、江戸時代の作と考えられます。

昭和六十三年三月
相模原市教育委員会

と書いてあります。

 

この建物の中に不動像がいらっしゃいましたが、写真を撮っていいとは書いていませんでしたので、不動様に失礼かと思い、ここは遠慮いたしました。

是非皆様実際に訪れてご参拝・見学されてください。

 

磯部八幡宮(相模原市南区)

不動堂付近から振り返って撮った、社務所と大イチョウです。

 

磯部八幡宮(相模原市南区)

それでは社殿目指して登っていきましょう。

 

整備された登りやすい石段を登っていくと社殿が現れました。

磯部八幡宮(相模原市南区)

屋根の反りがかっこいいです。

 

磯部八幡宮(相模原市南区)

こちらが扁額です。

 

右下にあった立て札によると

この八幡宮の本殿(奥宮は朱塗で一間流造り杮葺です。
周囲は禅宗様高欄で脇障子の絵は左昇龍右降龍
向拝つなぎは海老虹梁・向拝柱上に連三斗、木鼻は
正面唐獅子側面獏です
二六〇年前の享保十八年(一七三三年)に改築された
当時のままです。
規模桁行四.三尺 梁行三.八尺 向拝出三.七尺

との文章がありました。

この立て札が立ってからどうやら30年経っているようなので、2023年現在では「290年前のまま」、ということになると思います。

立地的にも周囲の状況的にも建物に優しい状況とは思えないんですが、皆さんに大切に守られてきただけあって、とても綺麗に感じました。

 

それでは境内各社をお参りしながら石段を降りていきましょう。

磯部八幡宮(相模原市南区)

三社神社です。

何故かこの立て札の写真しか撮っていませんでした。

この三社神の由来は

 東京赤坂山王日枝神社

 東京湯島天満宮

 大山阿夫利神社

の神霊を祭ってあります

とのことです。

江戸から大山へ向かう人たちをおまもりしてきたのでしょうか。

 

磯部八幡宮(相模原市南区)

金比羅神社です。

商売繁盛を祈願する神様です

とのシンプルな立て札がありました。

磯部八幡宮(相模原市南区)

 

足もとの小さな石碑にも歴史を感じます。

 

磯部八幡宮(相模原市南区)

疱瘡神社です。

健康を祈願する神様です

との立て札がありました。

ものすごくシンプルに伝えるとそういうことになりますかね。

 

ここ磯部八幡宮の八幡坂の向かいには厳島神社もありますが、疱瘡神社まであるのはすごいですね。

疱瘡神についてはWikipediaなどをぜひご参考にされてください。

 

磯部八幡宮(相模原市南区)

稲荷神社です。

磯部八幡宮(相模原市南区)

由来についての立て札がありました。

由来
 この稲荷大神は、推定室町時代から過去数百年に亘り、信仰厚い溝呂木講中の原点で、心のよりどころとして、護持されてまいりました。明治初期の講中名簿に現存します。
 開山八幡宮別当佛像院当時から溝呂木家出身の初代法印(神官)の鬼門の位置として、伏見稲荷大社から奉祀されたと思われ、五穀豊穣と地域の繁栄を祈願してまいりました。
又かつて溝呂木家の墓地は、八幡宮に隣接してありました。
 遠い祖先から代々継承されてきた絆は、今も又将来も続くものと確信いたします。
ここ溝呂木家講中十七戸の浄財を持って、改築いたしました。この守護神の御加護により健康で永遠に子々孫々幸あらんことを念願いたします

 昭和六十二年四月二十九日 溝呂木講中

と記されていました。

 


本殿のみならず多数の境内社などがある磯部八幡宮でした。

700年以上に亘って磯部の中心として地域の人々とともに歩んできたそんな長い歴史を確かに感じられる神社でした。

 

一部写真を撮るのを忘れたのか撮れていなかったのかわからないのですが、いずれにせよちょっと写真を撮り増ししたいので、春になる前(葉が茂る前)のお天気の良い日にまたお参りに行きたいと思います。

 

 

 

まとめ

相模原市南区磯部にある「磯部八幡宮」について書いてみましたがいかがでしょうか。

長い歴史を磯部の人々とともに地域の中心として歩んできた神社」ということが伝わったら幸いです。

気になることがみつかった方は是非当ブログ内の各ジャンルの記事にも飛んで読んでいただけたら嬉しいです。

相模原市南区に興味を持っていただき、また、この記事を読んでいただいてありがとうございました。